マハーボディ寺院から日本寺へ
マハーボディ寺院を再訪し、ガイドのCさんから土産物を買わされたのだった。
その足で日本寺に向かう。
昨日、日本寺でBさんと話をしており、今日も10時か11時ごろに顔を出すと伝えてあった。
Bさんは、(たぶん)日本寺の管理をしている、年配のインド人だが、ブッダガヤでの二日目に初めて日本寺で会ったのだった。
それから日本寺に来るたび、何度も話をしていた。
日本寺に来てみると、まだBさんの姿はなかった。
そのまま本堂に向かい、しばらく座禅する。
インドの人たちから話しかけられる
本堂で座禅していると、何人かのインド人が入ってきた。
そのうちの女の人が私に話しかけてくる。
「どこから来たか」と言われ、ジャパンだと答える。
ジャパンからここまで、フライトの値段はいくらかと聞かれたので、大体25000ルピーぐらいだと答えた。
英会話なのでよく分からないことも多かったが、彼女はエンジニアーらしい。
そのまま少し話をし、話しかけてきた女の人たちは去っていった。
私も本堂を出て、本堂の外にある菩提樹の下で日記を書く。
まだ午前だが、すでに色々なことがあった。
ここでは退屈しない。
今日の出来事をしたためていると、今度は子供を二人連れた男の人から、「何をしているのか」と話しかけられた。
私はとても拙い英語で、「日記を書いている。家族に見せるためだ」と伝えた。
聞けば、彼が連れている子どもたちは、自分の息子といとこらしい。
彼らはこれからクンブ・メラを見に行くようだ。
クンブ・メラは、日本のニュースでも何度もやっていたが、世界最大の宗教行事だ。
インド中から何億人もの人が集まってくる。
私はブッダガヤの後、ヴァラナシという所に行きたかったのだが、クンブ・メラでそっち方面の列車のチケットが取れず、パトナという所に行くことにしたのだった。
話しかけてきた男の人に、ヴァラナシはあきらめてパトナに行くことにした、と伝える。
すると、クンブ・メラはもう少しで終わるので、終わるまで待てば、ヴァラナシ行きの列車のチケットは取れるかもしれないとのこと。
まあ、もうパトナ行きのチケットを取ってしまったので仕方ない。
早くネパールとの国境を見てみたいという気持ちもあったので、ブッダガヤからパトナに行くのも、悪くないルートだという気がしていた。
しばらく話をして彼が去っていった後、引き続き日記を書いていた。
すると、今度は女の子の二人連れから、「何をしているのか」と話しかけられた。
ここは本当に退屈しない。
色々な人が構ってくれるので楽しい。
何となく、彼女らは大学生ぐらいの年齢のような気がしたので、学生かと聞いてみる。
案の定、この近くの学校に通っているらしかった。
お互い、ポツンポツンと英語で話をした。
日本のどこに住んでいるかと聞かれたので、新潟と答え、写真を見せた。
(新潟の白山神社の写真)
この近くでは、こんなに雪が降る場所は無いのではないか。
それからまた少し話をし、私はその場を離れた。
日本寺での別れ
日本寺の入口には、まだBさんはいなかった。
敷地の外に出てみると、ちょうどBさんがこちらに向かっているところだった。
椅子に座って彼と話をする。
やはり、彼はまず「飯を食うか」と勧めてきた。
彼の家が飯屋なのか、それとも家の普通の飯を食わせようとしているのか、聞いてもよく分からなかったのだが、何故か彼は、家で飯を食えと言ってくるのだ。
丁重に断るのだが、それでも飯を食えと言ってくる。
そんな押し問答を繰り返した後、彼の家族の話になった。
彼の家族が、これから私が行くパトナで仕事をしているらしい。
その家族は「オマイリサン」の仕事をしているという。
「お参り」だから宗教関係の仕事だろうかと思っていたが、何のことやらいまいちピンとこない。
それが、今日も何回か聞いているうちに、ようやく分かった。
もしかして「オマワリサン」じゃないだろうか。
「ポリスか」と聞くと、そうだと言われた。
彼の家族はパトナで警察をしているらしい。
パトナの駅に着いたら探してみるよう言われた。
果たして見つかるだろうか。
そうしてBさんと駄弁っていると、近くにいたインド人が寄ってきた。
何やらBさんに話しかけている。
そのインド人は、ヒンドゥー語しか分からないようだ。
彼は彼で、Bさんとヒンドゥー語で話をし、私は私で、Bさんと日本語や英語を交えて話しているので、皆がてんでバラバラにしゃべっている。
その様子が何だか面白かった。
Bさんから、今度は家族を連れて来いと言われたが、それはちょっと厳しい気がする。
インドのブッダガヤ、中々来られるところではない。
今までお世話になったBさんにお礼を言い、日本寺を後にした。