釜谷キャンプ場2日目の朝
釜谷キャンプ場での2日目。
外では雨が降っている。
テントの内側も結露しているが、テント泊では結露は避けられない。
幕を開けて寝れば良かったのかもしれないが、雨が降る予定だったので、それもできなかった。
5月中旬だというのに結構寒く、寝袋から出たくない。
しばらくテントに籠っていよう。
昨日の夜は、寝たり起きたりを繰り返していた。
テントの下を整地していなかったため、寝袋に入ると背中の石が痛い。
さながら、ずっとツボのマッサージを受けながら寝ているようなものである。
さらに、テントの張りが十分ではなかったためか、それとも斜面に建ててしまったためか、テントの幕がバタバタと揺れる。
夜中に時折、テントの近くでバタバタという音と、グワァーグワァーという鳴き声がしていた。
海鳥がテントの近くに飛んできて、餌を探していたのだろう。
中々ハードな夜だった。
まあ、もう一日も経てば慣れるだろう。
睡眠について
インドに行った時も、最初は外のうるささに面食らったものだが、数日もしたら慣れてきた。
インドのコルカタでは、一日中、外でひっきりなしにクラクションが鳴り続け、寝ようにも寝付けなかったのだ。
それでも、そんなものかと思ってしまえば、段々と環境に慣れてくる。
寝付けなくても仕方ないと思いながら、ひたすら目を閉じて横になる。
本当に体が睡眠を必要としてくれば、周りがうるさくても眠くなってくるものだ。
粟島観光協会からメールを受け取る
しばらくして雨足が収まってきた。
完全に雨が止んだら、洗濯物を干し直そう。
そんなことを考えながら、何気なくスマホのメールをチェックしていると、粟島観光協会からメールが届いていた。
自動配信のメールか何かかと思い、開いてみると、「今日の夜から風と波が強くなるため、内浦のキャンプ場かバンガローに移動することを検討しませんか」という内容だった。
こちらを気遣ってわざわざメールをくださったのだ。
とても有難いことだ。
前に客商売をしていたから、人を気遣うこと、そして気遣いを実行に移すことの大変さと有難味がよく分かる。
スマホで天気を見てみると、確かに、今日の夜から波高が高くなるようだった。
釜谷キャンプ場は海岸にあるので、あまりにも波が高いと、テントまで波が届いてしまうかもしれない。
どんなものだろう、内浦に引き返した方が良いだろうか。
考えていると、内浦に行くという提案が、とても魅力的なものに思えてきた。
内浦には、粟島唯一の共同浴場がある。
昨日汗をかいたし、今もジメジメとしているので、一風呂浴びたい気分だ。
それに、内浦の方は飯屋も豊富だ。
あまり粟島の飯屋に入ったことがなかったので、入ってみたくもある。
粟島に来た元々の目的が、お釈迦様の成道にあやかって座禅修行を積むことだったが、何だか方針を変更したい気分になってきた。
いっそのこと、粟島で修業をする旅から、粟島をブラブラする旅に切り替えてしまおうか。
どうせ気ままな一人旅だ。
方針をコロコロ変えたって、誰にも咎められやしない。
それに、修業をしないというわけではないのだ。
このまま釜谷にいるより、バンガローに入った方が座禅がしやすそうだ。
キャンプ場ではテントの管理など、何かと気を取られることが多い。
バンガローにいれば、とりあえず起居する場所に気を遣わなくてよくなる。
その分、座禅にも身が入るというもの。
とりあえず、こちらを気遣って連絡をくれた観光協会の人に感謝し、メールを返信する。
気持ちは内浦に行く方に傾いていたので、その旨も伝えておく。
釜谷キャンプ場を出発
さて、腹は決まった。
内浦に向けて出発しよう。
道具を畳んでザックにしまい込む。
テントはまだ濡れているので、ザックの外にビニール紐で縛っておいた。
釜谷キャンプ場とは、あっという間のお別れとなった。
重いザックを背負い、釜谷キャンプ場を後にする。
問題はここからだ。
昨日、重い荷物を背負って坂道を歩いてきたので、まだ足が万全ではない。
釜谷キャンプ場から、県道に出る坂道を登り返しただけで、かなり足に来ている。
これからどうやって内浦に行こう。
時間的に、コミュニティーバスはなさそうだったので、歩いていくしかない。
本当に厳しければ、釜屋の集落まで行って、誰かに頼んで内浦まで乗せてもらうこともできるかもしれないが、そこまで足が辛いわけではなかった。
とはいえ、内浦まで行くのに、昨日の県道を戻るのは辛すぎる。
灯台の辺りまでずっと坂道が続くので、考えただけでも嫌になる。
そこで考えたのが、島の南側を行くのはどうかということだった。
この道は、2023年に歩いたことがあった。
起伏もあった気がするが、島の真ん中を通るよりは、道がなだらかなのではないか。
南側を回ると、島の真ん中を通るより、歩く距離はだいぶ長くなる。
それでも上り坂が少ない方が、遥かに楽ではないか。
途中で内浦キャンプ場やバンガローの様子を見て行くこともできるだろう。
よし、とりあえず釜谷の集落を突っ切り、島の南側に進路を取ることにしよう。
釜谷の集落を通り抜ける
釜谷のキャンプ場で、観光案内所から「波風が強まる予報だ」というメールを受け取り、内浦に行くことにしたのだった。
釜谷から内浦まで、島の真中を突っ切るのが最短だが、道の起伏が激しいのが難点だ。
昨日、重い荷物を背負って歩いたので、足が筋肉痛である。
できれば勾配が緩い場所を行きたいと思い、島の南側を回ることに。
南側も勾配があったと思うが、島の中心部ほどではないだろう。
まずは釜屋集落に向かい、集落を抜けていく。
集落の奥に、南側へと続く道が見える。
あの坂道は、何だか見るからに大変そうだぞ。
あそこを抜ければ楽になるんだったかな、、、
とにかく行ってみよう。
集落を通り抜け、堤防の奥から坂道へ行く。
坂の勾配は緩やかだが、キツイ。
途中で来た道を振り返る。
奥に釜谷キャンプ場の弁天岩が見える。
八幡鼻の付け根へ
何とか坂道を乗り越えた。
あの突き出している部分は、以前に訪れた八幡鼻ではないか。
それから両側を畑に囲まれた場所を抜け、八幡鼻の付け根までやって来た。
ここを右に行くと、岬の先端に出ることができる。
真っすぐ行けば、島の南側へと進んでいける。
立て看板を見てみる。内浦まであとどのくらいだろう。
まだだいぶ距離があるな。
まあ坂道が無ければなんでも良いのだが...
ある、、、
それも結構大きな坂が。
「八幡神社入口」(現在地) → 大きな坂道 → 「矢ケ鼻」
となっている。
釜谷を抜けた後に坂があったが、それよりも距離が長く、勾配も大きそうな感じだ。
勘弁して、、、
矢ケ鼻までの坂道に苦労する
看板の前でザックを下ろし、少し休憩を取る。
それから坂を上り始めた。
キツイ。
荷物が無ければスイスイ登れそうだが、荷物のおかげでかなりの負荷がかかる。
矢ケ鼻の展望台が見えてきた。
途中何度も立ち止まりながら、少しずつ進んでいく。
ものすごくキツイ。
やっとのことで展望台に到着。
ザックを下ろして大休憩。
あれは飯豊の山々だろうか。
飯豊の雪が無くなるのはいつごろだろう。
島の南側から東側へ
釜谷から内浦までの、最大の障壁は乗り越えた。
後は下り坂と、平坦な道が続くのみ。
本土の山々がよく見える。
完全に、島の東側に来たということだろう。
粟島汽船のフェリーが、粟島に向かっている。
岩船から粟島へ向かうフェリーの運航時間は、10:30~12:00ごろだったはず。
フェリーはけっこう粟島に近付いているので、今は11:30ぐらいではないか。
実は一日前、粟島に向かうフェリーに乗る直前、腕時計が電池切れで止まっていることに気付いた。
そのため、時間を確認する術がスマホしかない。
スマホはザックの中にしまい込んであり、取り出すのが面倒で、あまり時間を確認していなかった。
たまには時間に追われない生活も良いだろう。
ウミウとオオベニウツギ
岩の上にウミウが佇んでいる。
2023年にここを通った時も、同じ岩の上にウミウがいたのを覚えている。
上の二つの写真を比べると、岩の形が違う気がするが、見る角度が違うからだと思う(たぶん)。
辺りを見ても、2023年に見たのと同じような大きさの岩は、先程の岩しか見つからなかったので、同じ岩だと思われる。
内浦に到着
これは何だろう。
Googleレンズによれば、オオベニウツギという植物らしい。
花の部分を拡大し、Googleで画像検索した結果と比べてみても、やっぱりオオベニウツギっぽい。
植物を探しながら歩いていると、何やら建物が見えてきた。
やっと内浦だ。
あわしま牧場に到着。
馬はいるのだろうか。
海上に鵜を発見。