一ヶ月かけてインドとネパールを旅してきた時の記録です。
このページでは、サダルストリートでの三日目、サダルからマザーハウス(マザーテレサの家)まで歩き、
ハウス内を見学した時のことについて書いています。
三日目の朝
朝の6:30ごろに目を覚ました。
何だか喉の調子が良くない。
乾燥した気候のせいか。
それとも排気ガスにやられてしまったか。
昨日洗濯をしたのだが、早く洗濯物を乾かすために窓を開けたりしていた。
そんなことをしなくても洗濯物はよく乾くようだ。
昨日水浸しにしていたシャワー室が、朝にはよく乾いていたぐらいだ。
むしろ、できるだけ湿度を高くすることを考えた方が良いのかもしれない。
部屋を乾燥させないため、シャワー室は水浸しにしておき、シャワー室のドアも開けっ放しにしておいた方が良さそうだ。
ブルースカイカフェで朝食を取って出発
今日はマザーハウスまで行く予定だ。
マザーハウスに向かう前、ゲストハウスで連泊の手続きをし、ブルースカイカフェに行って朝食をとる。
前も食べたチーズサンドと、マンゴーラッシーを頼んだ。
マンゴーラッシーは期待通りの味だ。美味い。
さて、マザーハウスに向かって歩こう。
マザーハウスはサダルから東の方向にある。
東の方はまだ行っていないので、どんな景色が広がっているか楽しみだ。
サダルから東側の街並み
マザーハウスに向かって歩く。
基本的にどこの通りも人が多い。
写真は、人が少なくなったタイミングを狙って撮っている。
通りでは、道に出て近隣の人たちと話をしている人が多い。
そのあたりの様子は日本と全く違う。
日本の古き良き商店街みたいな感じがする。
テキトウに歩いたので、場所はちょっと怪しいのだが、アリマディン・ストリートか一本南のリボン・ストリートというところで、道の両脇に屋台がたくさん出ていた。
屋台が多いのは、もしかすると今日が日曜日だからかもしれない。
人が多く、賑わっており、子どもたちもたくさん歩いている。
屋台の売り物は様々だ。
チャイや軽食から、雑貨におもちゃなど。
軒下に吊るされた大きな牛肉や鶏肉。
つながれた牛と山羊。
道の脇では、母犬に子犬たちが群がって昼寝している。
水が大量に、際限なく出続けている場所が何か所かあり、男の人たちが水浴びしている。
寒そうだ。
サダルでは10歩ごとに話しかけられるような感じだが、やはりというか、この辺りでは全く話しかけられない。
一般的なコルカタ市民に混じりながら、通りや狭い路地を歩く。
車やバイクと歩行者
後ろから来たバイクが、すれ違いざまにクラクションを鳴らしてくる。
これは注意喚起みたいなもので、基本的にはそのまま歩き続けてOKだ。
コルカタには信号がほとんどなく、人も車もバイクも多い。
運転手は、コミュニケーション代わりにクラクションを鳴らしている。
クラクションを鳴らすのは、人や他の車を追い越すとき。
それと、曲がり角の手前でもパーっとクラクションを鳴らし、角の向こうにいる人に注意喚起している。
現地の人を見ていると、ここではとにかく動き続けることが大事な気がする。
車やバイクを避けようとして、下手に止まったりしない方が良い。
車やバイクは、歩行者がそのまま歩き続けるものと思いながら走行している。
歩行者が、車やバイクを避けようとして変則的な動きをしてしまうと、運転手が混乱してしまって逆に危ない。
まあ、それも場合によりけりだ。
たまに、狭い通りに大きな車が入ってきたときは、こちらが端に寄って立ち止まり、車を先に行かせてやらなければならないこともある。
通りを歩き続け、マザーハウスのある大通りに出た。
通りには、バス停の軒下などに寝ている人たちがいた。
子犬が道を歩いていた。
私が近づくと、子犬は車の下に潜り込んでいった。
この子犬の未来のことを考える。
通りには大きな犬が何匹も寝ているが、あのくらいの大きさに成長できるのは、果たして何割ぐらいなのだろうか。
マザーハウスで祈りをささげる
大通りから細い小路に入ると、よく写真で見かける、マザーハウスの外観が見えてきた。
マザーハウスの向かいには装飾品店が並んでいる。
マザーハウスの中に入ると、受付の修道女のような人がいた。
受付といっても、特に何かをするわけではないのだが、挨拶をして中に入る。
入るとすぐに中庭がある。
他にも何組か観光客がいた。
中庭の像。
像に向かい、右奥に、マザーの経歴や功績などを展示した部屋がある。
右後方にはマザーのお墓の部屋、左側には、マザーの執務室兼寝室だった部屋が残されている。
まずはお墓の方に行ってみよう。
部屋の中には修道女がおり、会釈する。
マザーのお墓の前で手を合わせ、祈りをささげる。
ここに来るまでに何を祈るかは考えてあった。
「世界中の人や動物たちが、あるままに生きていけますように」
しばらく祈りをささげ、また修道女に会釈をして部屋を出た。
その後、展示室を見て回り、階段の上にある執務室も見たりした。
執務室は質素であり、マザーの人柄を表しているように思う。
一通り見終え、マザーハウスを出る。
インドの宗教観
マザーハウスを出て、大通りには戻らず、路地の奥に行ってみる。
かわいい猫ちゃんを発見したが、奥は行き止まりだったので大通りに引き返した。
小路の右には協会があり、祈りをささげる声が聞こえている。
コルカタには、インド古来のヒンズー教に、イスラム教やキリスト教、そして仏教と、様々な宗教の人たちがない交ぜになって暮らしている。
色々な宗教の人たちがいるのは日本でも同じなのだが、コルカタでは、宗教活動が日本よりももっとあからさまに行われていた。
以前、サダルの近くの路上で、イスラム教の人たちが跪いて祈りをささげているのを見たことがあった。
周りを歩く人たちは、イスラム教の人たちを尊重し、祈りの邪魔にならないように避けて歩いていた。
何というか、日本と比べ、インドは宗教というもの自体にオープンで寛容な社会だという気がする。
もちろん、だから日本が悪いとか、インドが良いとか言うつもりはない。
インドの宗教に対する寛容さは、インドのヒンズー教の人たちが、元から宗教をオープンにしていた土壌があるからではないかと思う。
インドの路上では、こういうものをよく見かける。
インドの人たちは宗教を神聖視しつつも、身近なものとして、また、神様をマスコットキャラクターのように扱うファンシーさもある。
元々の文化的土壌として、インドの人たちがヒンズー教を身近なものとしていたからこそ、他宗教の人たちも、自らの宗教をオープンにしていけたのではないだろうか。
そう思わないかい、ワンちゃんたち。