ブッダガヤの朝と夜
ブッダガヤ三日目の朝。
ブッダガヤは朝も夜も静かで良い。
早朝はたまに野良犬が吠えているが、コルカタと比べればとても静かだ。
8時過ぎになると、太鼓のような音がどこからともなく聞こえ、それが目覚まし代わりになる。
夜は夜で、静かでよく眠れる。
ちょっと唐突だが、この旅行記は、旅行中に書いていたノートと、私の記憶を頼りに書いている。
コルカタに滞在していた時のノートは、夜がクラクションなどでうるさかったという記述が多いのだが、ブッダガヤの夜については、あまりノートに記述がなかった。
それだけブッダガヤの夜が静かで快適だったのだと思う。
ただ、ブッダガヤでも、夜に咳が止まらず寝苦しかったことは何度もあった。
前にコルカタで熱を出した後、咳が止まらなくなり、それが帰国後まで続くことになったのだ。
幸いと言うべきか、咳は私がゲストハウスにいる朝と夜に集中し、日中はあまり出なかったので、人に移す心配はなさそうだった(一応、外出時はマスクをしていた)。
さて、明日がタラゲストハウスをチェックアウトする日になっているのだが、ブッダガヤにはトータルで一週間ほど滞在しようと思っていた。
玄関で若いマネージャーに、もう4日滞在したい旨を伝えた。
そのまま玄関のテラスに座ってのんびりしていると、彼は、妹や弟なのか、小さい子どもたちを学校に連れて行った。
ここのゲストハウスは、彼らの住居にもなっているのかもしれない。
ゲストハウスで少しのんびりし、10時ごろに外出することにした。
昨日は初めてブッダガヤ市街を歩いたのだが、いきなり濃い出会いがあった。
日本寺でガイドに付き纏われ、マハーボディ寺院のガイドをされたのだった。
ガイドをしてもらったのはありがたかったが、彼は得体が知れず、一緒にいると気を張っていなければいけないので疲れた。
私はブッダガヤの街を、一人でブラブラと見て回りたいだけなのだ。
今日もああいう人たちに会うかもしれないと思うと、あまり外出する気が起きないが、まあちょっと街中に足を向けてみるとしよう。
再び日本寺へ
行くあては無いが、とりあえずまた日本寺へ行ってみよう。
昨日と同じようにゲストハウスの裏道を行く。
裏道は、懐かしい感じのする田舎道であり、のどかな景色が広がっている。
裏道から、南北を通るそこそこ大きな通りに出て、南へ。
そのまま行くと、昨日入ったロータスレストランの近くの、大きな交差点に出る。
今来た南北の道と、東西に交わる通りが、ブッダガヤの大通りだ。
この大通りを今度は東へ行き、しばらく行ってから南に行くと、日本寺がある。
日本寺の門の前にはインド人が座っており、通ろうとすると何やら話しかけてくる。
無視して敷地内へ。
子どもたちのお経の功徳
日本寺の本堂。
ここに来ると落ち着く。
日本寺は、ブッダガヤでの私の心の拠り所だった。
本堂の中に入ると、菩提樹学園の子どもたちが、先生と一緒にご本尊の前に座っていた。
菩提樹学園は、本堂のすぐそばにある保育園のような施設だ。
先生がお経を唱えた後、子どもたちがそれに続いて大声でお経を唱えている。
私はそのお経を聞きながら、本堂で正座していた。
子どもたちがお経を唱えているのを聞くと、心が洗われる気分になってくる。
子どもたちの年齢的に、彼らはおそらく、自分が唱えているお経の意味を分かっていないだろう。
先生が唱えているお経を、そのまま真似しているにすぎない。
だからこそ、彼らの唱えるお経には功徳があるのではないか。
何の打算もなく、ただ唱えられているお経だからこそ、こちらの心に染みてくるのではないかと思った。
日本寺での出会い
読経が終わり、子どもたちは菩提樹学園へと戻っていった。
本道が静まった後も、私はしばらく座ったままで、余韻を感じていた。
本道を出てみると、外の菩提樹のそばに、昨日出会った客引きの男がいる。
マハーボディ寺院をガイドしてくれたガイドのAさんではなく、昨日の朝にゲストハウス前で会った男だ。
彼は私を待ち伏せしていたのかもしれない。
私が日本寺に入るところを見ていたのか、それとも、また日本寺に来るだろうと当たりを付けていたのか。
彼は誰かと電話をしていたのだが、私を認めると、私に向かって電話を突き出してくる。
どうやら昨日のAさんが電話先にいるらしく、電話で話をするよう言ってきた。
私はそれを断って、日本寺の入口へ向かった。
彼らの強引さに、いい加減うんざりしていたのだ。
こっちは一人で街中を歩きたいだけだ。
ブッダガヤはそこそこ狭いので、また彼らと出くわす可能性は十分にある。
そしたら何か言われるかもしれないが、その時はその時だ。
そうして日本寺の入口まで来たとき、入り口の近くにある建物の所に、一人の年配のインド人が座っていた。
手招きされ、私は自然と彼の元へ向かった。