恐山と恐山菩提寺の宿坊「吉祥閣」について・院主代理の南直哉さんの著書にはまる

2021年9月26日*恐山菩提寺の宿坊に宿泊*,国内の旅,東北,全ページ

2021年のお盆のころ、青森県のむつ市にある恐山菩提寺で宿坊に泊まってきました。

 

このページでは、その旅行記の前書きとして、恐山や恐山菩提寺の宿坊についての説明と、(2021年9月時点で)恐山菩提寺の院主代理である、南直哉さんの本にはまっていた時のことを書いていきます。

 

青森県むつ市の恐山

理由は後述しますが、青森のむつ市にある恐山まで、どうしても行ってみたくなりました。

 

新潟から行くので長旅になりますし、どうせ行くなら宿坊に泊まりたいと思い、宿坊に一泊することにしました。

 

このご時世(コロナが流行して少し経ったとき)なので、出発の2週間前から体温を計り、PCR検査を受け、用事のない場所には立ち入らないようにしながら行ってきました。

帰ってからも、体温計測をしつつPCR検査を受けました。

 

恐山は、青森県むつ市に属している、本州北端の下北半島にある山です。

 

まず「恐山」という名前からおどろおどろしい感じを受けますし、恐山といえば霊を降ろすイタコさんが有名であり、なおさら恐ろしい感じがします。

 

恐山には宇曽利山湖という湖がありますが、その付近には荒涼とした風景が広がっています。

 

恐山周辺では硫黄性のガスが噴出しており、地面は黄色く染まり、一帯は硫黄の臭いが立ち込めていました。

硫黄のガスでスマホやデジカメなどの電子機器がやられやすいそうで、当日は電子機器をビニール袋に入れて持っていきました。

 

また、服に硫黄の臭いが染み付き、しばらく臭いが取れなかったので、気にする方は服装に気をつけていったほうが良いと思います。

 

恐山のことを詳しく知りたい方は、恐山: 死者のいる場所という本を読むことをお勧めします。

 

この本は、(2021年9月時点で)恐山菩提寺の院主代理をされている、南直哉さんという方が書いています。

実際に恐山に住んでいる筆者の方が、恐山がどのような場所かということについて書いた本です。

 

著者の南直哉さんについては後述します。

 







恐山菩提寺の宿坊「吉祥閣」について

 

恐山には、「恐山菩提寺」というお寺があります。

 

このお寺に「吉祥閣」という宿坊があり、一般の参観者でも宿泊させてもらうことができます。

 

青森県のサイト(このページを更新した2025年3月現在、もうページは無くなっていました)によれば、泊めてもらうには一週間前までに電話で予約が必要と書いてありました。

 

料金は、一泊二食付きで12000円+入山料500円です(2021年8月時点)。

 

ちなみに、宿坊に宿泊するということは、旅館やホテルなどに泊まるのとは色々な面で違いがあります。

 

例えば、食事の際には「五観の偈」というものを唱えてから黙々と食べたり、22:00消灯であったり、宿泊日の翌日は6:30から朝のお勤めを行ったりと、ホテルや旅館に泊まるのとは違った行動様式になります。

 

ただ、宿坊は旅館やホテルなどのようなサービスは受けられないというのが一般的ですが、実際に泊まってみて、むしろホテルや旅館などよりもサービスが良いのでは、と思ったような部分もありました。

 

受付の方と(ソーシャルディスタンスなどには気を使いながらですが)世間話などもでき、とても良い時間を過ごすことができました。

 




なぜ恐山に行ったのか

ところで、なぜ恐山に行きたくなったのかということを書いておきます。

 

いきなり重そうな話になりますが、私は大学生のとき、なぜ自分は生きているのだろうか、生きる目的は何なのだろうかということを、ずっと考えていた時期がありました。

 

そのとき周りの人に聞いても満足な答えを得られなかったので、答えを求め、哲学や宗教などの本を大量に読みました。

哲学書などはさっぱり内容が分からなかったのですが、禅問答の本を読んだ時に、内容は哲学と同じく分からなかったものの、なんとなく、「ここに答えが載っている」という感じがしました。

 

それから禅に関する本を読み漁ったのですが、そのとき読んだ中に、南直哉さんという方が書いた、なぜこんなに生きにくいのかという本がありました。

 

この直球なタイトルを見た時、これが探していた本だと直感し、南直哉さんの本を読み始めました。

なぜこんなに生きにくいのかの他に、語る禅僧老師と少年などもその当時に読みました。

 

これらの本には、仏教や宗教、人生についての南さんの考えが載っています。

 

「悟り」は開けないというタイトルの本もあったりして、手加減や誤魔化しをしない書き方が、だからこそ真摯な感じを受け、南さんの著作を集めるようになりました。

 

さて、なぜ恐山に行くのかという話に戻りますが、本の著者の南直哉さんは、恐山菩提寺の院代(山主代理)をされています(2021年9月時点)。

それで、もし会えるなら会ってみたい、会えなければまあそれでも良いかと思い、恐山に行ってみようと思ったのです。

 

また、恐山という場所そのものにも興味がありました。

小学生のころにプレイしていた、NINTENDO64のがんばれゴエモン ネオ桃山幕府のおどりというゲームに、恐山が出てきており、その印象が強く心に残っていたのです。

 

人間は案外、小さい頃の記憶や体験に行動を左右されているのかもしれません。

 




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Posted by 無郷庵