【思い出に残ったチャイの屋台】インドとネパールをブラブラした一ヶ月:その19

旅の記録ー*インドとネパールでの一ヶ月:2025年1月全ページ

一ヶ月かけてインドとネパールを旅してきた時の記録です。

 

このページでは、サダルストリートでの二日目、インド博物館を訪れた後に寄った、

思い出に残るチャイの屋台での出来事について書いています。

 


チャイを飲みたいのだが...

 

インド博物館を見終えた。

 

博物館を出ると、「インドハクブツカンドウダッタ」と声をかけられる。

完全無視。

 

インド博物館前の通りは、屋台がたくさん出ており客引きも多い。

私の目の前にメニューをかざし、「何か食って行け」という人もいた。

 

インドの人の商売根性はすごいものだ。

 

このままサダルを真っすぐ行けば、ゲストハウスに戻れるのだが、少し周辺を歩いてみようと思った。

 

博物館には2時間ぐらいいたので、疲れているし喉も渇いている。

ジュースかチャイでも飲みたい。

 

だが、飲食店に入ることの難しさのページに書いたが、私は飲食店に入るのが苦手だし、屋台で何か頼むのも無理ときている。

納得しなければ動かない性格なので、システムの分からないものに飛び込んでいけないのだ。

 

店に入ったり、店員に話しかけてしまえば問題なく対応できるのだが、その踏ん切りがつかず、それだったらどこかで買って食べようということになってしまう。

 

インドでは、ぜひ屋台でチャイを飲んでみたかったが、地元の人が集まっている屋台に飛び込んでいく勇気はなかった。

 







屋台で念願のチャイを頼む

サダルから別の通りに入り、またサダルに向かって歩いていると、一軒の屋台から声をかけられた。

 

良い機会とばかりにチャイを頼むことに。

 

屋台のおっちゃんが、ヤカンから紙コップにチャイを注いでくれた。

紙コップを受け取りつつ、値段を聞くために「ハウマッチ」とか「マネー」とか言ってみるが、よく通じない。

 

終いに、おっちゃんは私のチャイにポットの水を注ごうとしてきた。

 

ヒンズー語では、水のことを「パニ」と言うのだ。

私が言った「マネー」を「パニ」と勘違いし、水を注ごうとしてくれたようだった。

近くにいた人が、店主に私の意図を伝えてくれた。

 

始めて飲んだチャイは、とても甘かった。

スパイスなどは入っていない、いわゆるミルクティー。

 

ちょっとだけ茶葉の残骸が入っていた。

 

今日一日の疲れが吹き飛ぶ。

 

美味い。

旅を終えた後も忘れられない味になった。

 

インドに来てから食べたものは、食べ慣れない、口に合わない物もそこそこあった。

 

けれどもこのチャイは、日本で飲むのと同じような味だ。

これならいくらでも飲める。

 

屋台での注文なども、一回経験してみると色々と分かるようになってくる。

 

今回は声をかけてくれた屋台のおっちゃんに感謝だ。

 

できることが増えるのは良いことだ。

戸惑いながら苦労してこなしていたことが、問題なくできるようになっていく。

 

何でもできるようになれば、生活は楽になるが、初めてのことが減っていくわけでもあり、少しばかり寂しい気もする。

 




思い出の屋台の隣の屋台

このチャイの屋台については、いくつか後日談がある。

 

実は、私に声をかけてくれた屋台のすぐ隣には、もう一軒の屋台があった。

 

二軒の屋台に向かって、が私に声をかけてくれたおっちゃんの屋台、そのに、まだチャイを飲んでいない方の屋台がある。

 

二軒とも売り物はほとんど同じで、チャイはもちろん、ホットサンドなどの軽食も売っている。

 

この二軒は競合しているはずなのだが、二人の店主は親しいようで、私がチャイを飲んでいる間、仲良さそうに会話をしているのを見た。

 

お客を取り合ったりもしているのだが、どちらが先に声をかけるか、ゲーム感覚で取り合っているような感じだった。

見ていると微笑ましい。

 

ところで、私は物事が対称でないと気になってしまうタイプである。

どういうことかお分かりだろうか。

 

隣り合った屋台で、片方だけのチャイを飲んだ状態というのは、実によろしくない。

もう一軒の方でも飲んでおかないと、納まりが付かないということだ。

 

というわけで後日、逆側から通りに入った時、飲んでいない方の屋台でチャイを頼むことにした。

 

値段は40ルピー。

 

味は、、、どうだったか、記憶が曖昧だ。

もう一軒と変わらなかった気がする。

 




チャイの屋台とのその後

それからは、二つの屋台に順番に入ることにした。

 

また後日、次に行くのは向かって左の、私に最初に声をかけてくれたおっちゃんの屋台だ。

 

左の屋台に行くと、右のおっちゃんが悔しそうにしている。

 

もう慣れたもので、40ルピーを渡してチャイを注文。

お釣りとして10ルピーの紙幣をもらう。

 

受け取った10ルピー紙幣はボロボロで、茶色く汚れ切っていた。

※下の画像の一番左の紙幣

他の店で出したら、受け取りを断られそうな紙幣だ。

 

おっちゃんとの思い出の品として、大切に取っておくことにするか。

 

通りの端に置いてあるベンチに座り、行き交う車やバイクを眺める。

こうしていると、何だか通りの一部になったような気がしてくる。

 

このようにして、少しずつインドに馴染んでいくのだろうか。

 

もちろん、インドの人たちから見れば、私はただの外国人観光客であり、馴染むといっても限界はあるだろうけれど。

 

そんなことを考えていると、屋台のおっちゃんから、「どこから来たか」と尋ねられる。

「日本から来た」と言うと、「日本のどこだ」と言われるので「新潟だ」と答える。

 

すると、「日本に行きたいからお前の住所を教えてくれ」と言われた。

ボールペンと紙を手渡される。

 

何じゃそりゃ。

怖い。

 

怖かったので、紙にテキトウな住所を書くことに。

新潟というのは教えてしまったので、Niigataという言葉を入れつつ、テキトウな住所を作った。

 

紙を渡して屋台を後にする。

その後、この屋台に通うことはなかった。

 

屋台のおっちゃんの行動はどう解釈すれば良いのか。

 

ただのインドジョークだったのだろうか。

それとも、本気で日本に来るつもりだったのだろうか。

 

インドの人たちの、こういうところがよく分からないし、恐怖だ。

けれども日本では体験しない出来事だから、面白くも感じる。

 

様々な感情がない交ぜになる。

 




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