日本寺での出会い
日本寺の本堂を出て、敷地の入口に向かったとき、年配のインド人に手招きされたのだった。
彼の元に向かうと、彼は座っていた椅子から立ち上がり、その椅子に座れと促してくる。
それは悪い気がするので断ろうとしたのだが、彼は立ったまま腰掛けようとしないので、ご厚意に甘えることにした。
椅子に座って世間話をする。
日本寺のことや、彼自身のことを聞いたりした。
彼ともこれから何度か会うことになるので、便宜上、「Bさん」と呼ぶことにしよう。
色々と話していると、Bさんが「住職と会いたいか?」と聞いてきた。
日本寺のご住職がどのような方か興味があったので、私としてはありがたいが、ご住職は忙しくないのだろうか。
Bさんに聞いてみると、大丈夫だと言う。
そのままBさんに連れられ、敷地内の奥にある会館へと通された。
日本寺のご住職と会う
会館は一部工事中だった。
会館の椅子に案内され、ご住職を待つ。
少しすると、ご住職がいらした。
思っていたより若い。
日本茶をいただき、久しぶりの日本の味に舌鼓を打った。
日本寺周辺の歴史
それからご住職と話をさせてもらった。
ご住職は、今から三か月前にこのお寺に入られたそうだ。
それまで、ここには五年ほど住職がいなかったらしい。
私はちょうど良いタイミングでここに来たみたいだ。
正直なところ、ここに五年も住職がいなかったというのは、うなずける話ではある。
日本を離れ、日本よりも不便なこの場所で任期を務めるというのは、それなりの覚悟が無ければできないだろう。
それゆえ、ここのご住職がどのような方なのか興味があった。
ご住職は私より若いが、私などより余程しっかりした考えを持っていた。
身の上話をしたり、ここ日本寺の歴史などを聞いた。
日本寺は、できてから50年ほど経つそうだ。
仏教の各宗派が協力し、国会議員の助けも得て、建物を造ったそう。
50年前、ここの最古参スタッフがまだ子どもだったころには、この辺りは田んぼだらけだったそうだ。
それが数十年でたくさんの建物が建ち、段々と観光地化され、人が増えて行った。
そんな話を聞きながら思い出すのは、ここで私が会ったガイドや、手を出して「マネー」と言ってきた子どもたちだ。
観光地化されると、人でにぎわって経済が回るが、金儲け主義がはびこることになる。
段々と物価が上がり、観光客の対応もしなければいけなくなり、元からいた人たちは住みにくくなってしまう。
今から30年ぐらい前は、この辺りも日本人がたくさん来ていたらしいが、今では少なくなってしまったとのこと。
その理由は明確ではないが、コロナ禍が原因だろうか。
それともコロナの前から、例えば強引なガイドが増え、それが理由で観光客が減ってしまったとかかもしれない。
昨日ガイドをしてきたAさんが、しきりに、「あなたの行きたいところへ、あなたの思うように」というのを強調してきた。
まずガイド自体を頼んでいなかったわけだが、それはさておき、彼も今までに強引なガイドをして、日本人に嫌われてきたのかもしれない。
その結果が、「あなたの行きたいところへ」という日本人向けの処世術になったのではないか。
それでもこちらはうんざりするわけだが。
ともかく、今の日本の観光地をニュースで見ていても思うが、人でにぎわうことには一長一短がある。
日本仏教の行く末に思いを馳せる
それから、個人的に気になっていた、ヒンドゥー教と仏教のつながりを聞いた。
ヒンドゥー教とヨガは深く関わっているが、ヨガの本を読んだ時、仏教の座禅とよく似ていると思った。
本の中には、仏教で使われているような用語も出てきたのだ。
それから、ヨガ(ヒンドゥー教)と仏教との関係が気になっていたのだが、今回ご住職から話を聞き、二つの宗教の関係性がつかめてきた。
また、日本仏教の行く末について話もした。
私のように、日本仏教界の蚊帳の外にいる人間でも、仏教界の今後がどうなるか気になっているぐらいだ。
きっとご住職も思う所があるだろう。
私は準都会に住んでいるが、仏教との関わりはほぼ葬式だけである。
以前、北海道の知床を訪れたしばらく後、知床を懐かしむために、寅さんの「男はつらいよ 知床慕情」を見た。
劇中で浅草のお寺の住職が、通りがかった人や子どもに声をかける場面があるのだが、それが印象に残っていた。
昔は、お寺が人と人との間を取り持つ楔になっていた気がするのだが、準都会に住んでいると、そういう場面も見かけない。
もしかすると、田舎では今も、そういう光景が見られるのかもしれないが。
仏教の役割ということについて、私なりに考えたことを少しだけ書いてみる。
私は今まで、仏教の(特に禅僧の)本を読んで、何度も救われてきた身だ。
学業や仕事で辛いときなどに、禅僧の本を読むと、私の悩みなどちっぽけなものだと思わせてくれる。
ちょっとは話は飛躍するが、現代は人と人との関りが希薄になってきている分、精神を病んでしまう人が増えてきているような気がする。
精神科は予約がいっぱいで、数か月待ちなんてこともあるようだ。
私のように、仏教の教えに救われる人が、現代にはたくさんいるのではないか。
そのような人の中には、仏教が自分の救いになってくれることを知らない人もいるだろう。
日本仏教界は、もっと仏教の教えを広めていったら良いのではないか。
まあこのようなことを門外漢ながら、ご住職と話をする中で、そして日本に帰ってからもずっと考え続けていた。
ただこんなことを書いている私は、仏教界のことをよく知らないし、教えを広める案も出せるわけではない。
ここに書いたことは無責任な素人考えに過ぎない。
日本寺の新しい図書館
しばらく日本寺のご住職と話をした。
ご住職が図書館を見せてくれると言うので、これもご厚意に甘えることにした。
日本寺には、新しい図書館と古い図書館がある。
新しい方は敷地の入り口近くに、古い図書館は奥の方にある。
今回は新しい図書館を見せてもらうことに。
古い方は、また後で見に来ることになる。
色々と見てみると、ここには素晴らしい蔵書がたくさんあった。
お寺や大学から寄贈された本らしい。
仏教関係の本はもちろん、ヨガや日本の古典なども充実しており、私なら一日中どころか一年中ここに籠っていられる。
ここに住みたいぐらいだ。
これだけの素晴らしい本たちが、ここにこうして置いてあるだけなのは、とてももったいない。
色々と見せてもらい、図書館を後に。
だいぶ長居してしまった。
そろそろ出ることにしよう。
外に出ると、ご住職に引き合わせてくれたBさんもいた。
この人はどういう立場の人なのだろう。
管理人か何かだろうか。
飯を食いに行こうと思っていたので、ご住職に良いレストランがないか聞いてみると、近くのスジャータホテルのレストランを勧められた。
ではそこに行ってみるか。
ホテルのレストランはちょっと入りがたい感じがするので、こういう縁でもなければ行かないだろう。
お勧めの飲食店について聞いていたとき、Bさんが、「わしの家で飯を食って行け」と言う。
この人の家は飯屋なのか、それとも家にある飯を食っていけということなのか、聞いてもよく分からない。
ともかくそれは丁重にお断りし、ご住職にも挨拶をしつつ、スジャータホテルに向かった。