観光協会でバンガロー滞在の手続きをする
観光案内所から波が高くなるという連絡を受け、釜谷から内浦に引き返してきたのだった。
キャンプ場の辺りにザックを置き、観光協会を目指す。
観光協会に着くと、対応してくれたのは、私にメールをくださった方だった。
わざわざメールを送ってもらったことに感謝を述べ、バンガローに二泊したいことを告げる。
元々、釜谷キャンプ場に五泊する予定だった。
今朝、メールをもらってから思案し、やっぱりバンガローで二泊に切り替えようと思っていた。
バンガロー泊は、キャンプ泊より高いのだ。
粟島に滞在する日数は減ってしまうが、無職の身なので、お金の心配をしてしまう。
釜谷に五泊する分のお金を払ってあったので、そこに2200円を足し、バンガロー二泊に切り替えられないかと聞いてみると、OKとのこと。
ありがたく、そうさせてもらうことに。
手続きを終えてバンガローの鍵を受け取り、内浦キャンプ場に戻る。
バンガローで荷物を下ろした。
内浦キャンプ場のバンガロー
粟島の観光案内所でバンガロー滞在の手続きをした。
内浦キャンプ場に戻り、バンガローの中へ。
バンガローにはいくつかタイプがあるが、私が滞在するのは4畳のタイプ。
一人ならば十分な広さだ。
大人二人でギュウギュウなぐらいだと思う。
三人ならば、6畳を借りた方が良いだろう。
チェックアウト時は掃除をして出ることになっている。
チェックアウト時間は10:00で、10:00までに観光案内所に鍵を返さなければいけない。
なお、粟島を出る時、フェリーの時間によっては、早朝に出発する場合もある。
まだ観光案内所が閉まっている時間に島を出る場合、フェリーのチケットを購入する時に、粟島汽船のカウンターに鍵を渡せば良いそうだ。
天井には、洗濯物を干すロープがかかっている。
とりあえず洗濯を終わらせてしまおう。
釜谷からここまで来るときに、だいぶ汗をかいた。
それに、昨日洗った洗濯物も、まだ十分に乾いていない。
洗濯を終え、荷物を干し終えた。
バンガローで一休み
窓を開けて換気する。
確かに風が強くなってきている気がする。
明日は風雨が強くなる予定のため、釜谷からこちらに避難してきたのだった。
観光案内所の建物で飲み物を買ってきていた。
ちょっと一服。
インドにいたころ、炭酸飲料が毎日の楽しみだったことを思い出す。
それにしても、何だかバンガローも悪くないな。
これまで、バンガローというのは中途半端なものだと思っていた。
バンガローという物は、キャンプ場に併設してあることが多い。
キャンプに来たらテントを張って泊まれば良いのに、なぜキャンプに来てまで建物に泊まる必要があるのか。
楽がしたいなら、ホテルや旅館に泊まれば良いではないか。
そう思っていたのだが、いざバンガローに入ってみると、良さが分かってきた。
バンガローはその中途半端さが良いのだ。
何も入っていない殺風景な建物だけ借りて、中でのんびりするというのは、中々に良いものだ。
寝具や食料は自前で持って行ったり、調達する必要があるが、裏を返せば、何も決まっていない自由さがある。
食料については、近くの店に入って食べても良いし、どこかで買って持ち込んでも、自炊しても良い。
寝る場所についても、良い寝具を持ち込んでも良いし、寝袋だけ持って行って不便を楽しむこともできる。
何事も創意工夫のし甲斐があるということだ。
それに、風が強まってきた今、頑丈な建物の中にいるというのは安心感もある。
何だかバンガロー泊がクセになりそうだ。
内浦のおと姫の湯へ
さて、15:00ちょっと前。おと姫の湯が開く時間だ。
タオルと着替えを持ってバンガローの外へ。
おと姫の湯は、粟島唯一の共同浴場である。
観光協会の人に聞くと、内浦キャンプ場のコインシャワーも使えるらしかった。
そちらで済まそうかとも思ったのだが、昨日今日と汗をかいたので、やはり風呂に入ってさっぱりしたかった。
海沿いを内浦集落に向かって歩く。
観光案内所の側面の絵。
前に来たときも描かれていただろうか。
記憶が定かではない。
観光案内所の裏を通って真っすぐ行くと、おと姫の湯の裏手に出る。
建物を回って入口へ。
おと姫の湯に入る
建て物に入り、スリッパに履き替える。
受付の人に挨拶しつつ、券売機で入場券を買う。
島外の観光客は、島民より料金が高い。
前にネパールの観光地のページに書いたことがあった(ような気がする)が、私は観光客料金について肯定派である。
こういった施設が果たす役割は、よく利用する地元の人と観光客とでは、また違ってくるはずだからだ。
洗い場は6人分。
ボディーソープとシャンプーが備え付けてある。
よく体を洗ってから浴槽に入る。
湯は熱めだ。
湯に浸かっていると、昨日今日の疲れが落ちていく気分。
少し入った後、洗い場に戻って体を冷ます。
地元の人たちが何人か来ており、明日の波の高さについて話をしていた。
風呂に入って満足した。
バンガローに戻ろう。
バンガローで夕食
おと姫の湯を出て、堤防の方に歩いてみる。
今の所、海は穏やかだが、明日には波の高さが4mになるそうだ。
バンガローの方に歩いてきた。
藤の花が咲いている。
バンガローに戻り、夕食の支度をする。
山菜おこわと味噌汁だ。
※一応書いておくが、下の画像にバーナーが写っているものの、バーナーで火を使う時は、バンガローの外で使っている。
下の画像では、バーナーを台として使っているだけである。
湯を沸かし、山菜おこわのパッケージに注ぐ。
残った湯に、乾燥した具と昆布ダシ、味噌を放り込む。
味噌汁の具材が戻るまで時間がかかる。
山菜おこわも、出来上がりまで15分かかるので、山菜おこわが食べられる頃に、ちょうど具材も良い塩梅になっているだろう。
味噌汁には、味噌を適当に放り込んだが、ちょうど良いしょっぱさだった。
手早く食べ終え、食後の昆布茶を飲む。
味噌汁の具材も昆布茶も、賞味期限が一年以上切れている...
まあ大丈夫だろう...
食後の読書
食後は座禅をしたり、本を読んだりして過ごす。
左下の「原始仏典を読む」は、初めて読んだが、ただ仏典に書いてあることを説明するだけではなく、仏教が発展し始めた当時のインド文化や、使われていた言語などと合わせて解説が進んでいくので、とても分かりやすい。
対して、上の「一日一禅」は私の座右の書だが、禅の逸話がたくさん書かれた本である。
上の二冊を読みながら、原始仏教と禅を比べていくと、同じ仏教のはずなのに、全然違う宗教のように思えてくる。
原始仏典では、具体的な生き方や考え方について言及したような箇所が多い。
対して禅は、難解な会話の代名詞として「禅問答」などと言われるように、一見しただけでは(何見しても)分からないような話が多い。
禅はもともと、中国で発展したらしいが、仏教がインドからアジアの東まではるばる伝わってくるなかで、形が変わっていったのだろう。
仏教が形を変えながら伝わったのは、決して伝言ゲームに失敗したということではない。
仏教の教えの根本は保ちつつも、仏教が伝わっていった地域の実情に合わせ、より現地に馴染みやすい形に変わっていったということである。
仏教の強みはこの柔軟性にあると思う。
ちなみに、私の理解では、禅宗派の中で禅問答が出てくるのは、主に臨済宗と黄檗宗である。
師匠から「公案」と呼ばれる問題を出され、それについて修行をしながら取り組み、見解(けんげ)を師匠に提示していく。
もう一つの日本の禅宗派、曹洞宗では、修業にこのような公案を利用するのではなく、ひたすら座禅を行うようだ。
ただ、私は修行をした身ではないので、これらの宗派でどのような修行が行われているかは、知識として知っているだけで、実際の所は分からない。
段々と暗くなってきた。
バンガローに電灯はあるが、自然の摂理に任せ、暗くなったら寝ることにしよう。