【北方文化博物館 新潟分館の見物・會津八一さんが起居した特徴的な西洋建築】新潟市観光
3月の上旬に北方文化博物館 新潟分館を訪れた時のことを書いています。
北方文化博物館 新潟分館について
旧齋藤家別邸を訪れた後、その足で、北方文化博物館 新潟分館に向かいます。
両建物は、歩いて3分ぐらいの近さにあります。
お得な共通チケットもあるので、一緒に見学するのがおすすめです。
ところで、北方文化博物館といえば、2024年の5月、藤の花が美しい時期に訪れていました。
今回訪れる北方文化博物館 新潟分館(リンク先は公式サイトです)は、その名の通り、北方文化博物館の分館として公開されています。
邸内でいただいたパンフレットによれば、
明治二十八年(一八九五)頃の建築で、大正初期に七代伊藤文吉が新潟の別邸として購入したもの
とあります。
北方文化博物館の建築が始まったのが、1882年だったので、分館の方は、本館が建てられてから10年後ぐらいに建築されたということです。
それから月日が経ち、分館は、『夕刊ニイガタ』の社長となる會津八一さんの邸宅として利用されました。
會津八一さんは、最晩年の10年間(1946年~1956年)を、こちらの邸宅で過ごすことになります。
北方文化博物館 新潟分館の見どころ
さて、北方文化博物館の本館は、先ほど写真を載せましたが、見事な藤棚のある庭が特徴的でした。
庭だけでなく、本邸宅の大広間なども見事で、広い敷地をふんだんに使った豪華な造りでした。
前回訪れた旧齋藤家別邸も、やはり大きな庭が特徴的で、邸宅のあちこちから庭を望める造りになっていました。
対して北方文化博物館の分館は、本館や旧齋藤家別邸とはまた違った見どころがあります。
枯山水の庭も見事ですが、特に見どころだと思うのは、これから写真を載せていきますが、1928年に増設された洋風建築だと思います。
枯山水の庭を持つ純和風建築に隣接して、洋館が建っているのが、独特の趣を生み出しています。
會津八一さんはこの増設された洋館を「南浜秋艸堂」と名付け、主にこちらで起居していたようです。
現在、洋館は展示室として利用されており、會津八一さんの書や良寛さまの書などが展示されています。
では、館内に入って行きましょう。
北方文化博物館 分館の座敷をめぐる
玄関から入ると、右側に受付があります。
受付で旧齋藤家別邸との共通券を見せました。
受付を済ませると、係りの方が説明をしてくれます。
今は湊にいがた 雛人形・町めぐりの時期なので、奥に雛人形が展示されていました。
會津八一さんの書がかかっていました。
右側に洋館が見えます。
廊下を通って洋館まで行ってみましょう。
旧齋藤家別邸と同じく、雨で庭園の見学はできませんでした。
洋館の見学
洋館に入ります。
蘭子さん憩いの間。
蘭子さんという人については、ネットで調べてもあまり情報が出てこなかったのですが、展示に写真とともに詳しく書いてあります。
奥にあるのが洋館の玄関です。
普段の出入りはこちらを利用していたようです。
洋館と本宅の二階へ
洋館の階段を見つけたので上がってみましょう。
洋館の二階にも展示室があります。
右奥に「天上大風」の書が見えるように、良寛さまの書も展示されていました。
一階に降り、本宅の方に戻ってみると、こちらにも階段がありました。
和室の周りを回廊が取り巻いており、庭が見渡せるようになっています。
先ほど訪れた洋館も見えます。
もう一つの離れへ
一階に戻り、洋館の反対側、まだ行っていなかった離れの建物を見に行きます。
こちらの離れは、洋館より前(洋館ができる約7年前)に増築されたようです。
下の間と上の間があります。
一通り見終わり、北方文化博物館 新潟分館を後にしました。