【ウトロのオロンコ岩登り】車で北海道一周の旅・その49
車で北海道をほぼ一周したときの記録です。
このページでは、ウトロのオロンコ岩に登った時のことについて書いています。
これからの予定
知床岬のクルーズ船に乗ったものの、濃霧のため、途中で引き返すことになってしまったのだった。
引き返した場合、距離に合わせて払い戻しがされるそうなので、案内所まで料金を受け取りに行った。
駐車場に戻り、今後の予定を再確認する。
今日は昼過ぎまで観光船に乗っているつもりだったのだが、早めに戻ってきてしまった。
とりあえず、これからウトロ周辺の観光地を巡ろう。
ぜひ、観光船から知床岬の先端を見てみたかったので、今日はウトロに一泊し、明日また観光船に乗ることにしようか。
ここで足止めをくう形になるが、見どころが多いので、それも良いかもしれない。
さて、まずは駐車場の入り口にあるオロンコ岩を登ってみよう。
この岩は海鳥の住処になっているようだ。
オロンコ岩登り
オロンコ岩には階段が付いており、頂上まで登ることができる。
立て看板によれば、「オロンコ」とは、「そこに座っている岩」を意味するアイヌ語だそうだ。
階段が結構きつい。
標高は低いので、新潟で登ってきた山々に比べれば大したことは無いのだが、辛いものは辛い。
頂上近くまで来ると、とても眺めが良い。
のだが、やはり霧でふもとが良く見えない。
オロンコ岩の遊歩道巡り
頂上には木道が整備され、一周しながら景色を楽しむことができる。
町営駐車場の方向。
右奥が、おーろらに乗った船着き場だ。
所々にエゾカンゾウなどが咲いており、風情がある。
ウトロの町並み。
真ん中あたりの大岩は、画像だと分かりにくいが、2つに分かれている。
手前の岩は長細く、ゴジラ岩と呼ばれている。
北の果ての港町といった風情だ。
霧が良い味を出している。
オロンコ岩の上を一周し、階段を下りた。
松浦武四郎翁の顕彰碑
駐車場に戻る。
幕末の探検家、松浦武四郎翁の顕彰碑があった。
翁は北海道・千島・樺太を探検し、膨大な資料を残したそうだ。
看板には翁の詠んだ歌が書かれていた。
探検家らしい、野に伏す旅について詠んだ歌だ。
このような境地に至るには、旅が当たり前になるぐらいに旅をしなければならないだろう。
松浦武四郎が北方を旅し始めたのは1845年ごろ。
日本はまだ江戸時代だ。
もちろん車など無い時代であるし、道も満足に整備されていなかっただろう。
調べてみると、北海道の本格的な開拓がはじまったのは、1868年に江戸時代から明治時代に切り替わって後のこと。
網走監獄で見たように、中央道路が開削されたのがやっと1891年になってからだった。
松浦武四郎が探検をしていたころは、北海道を松前藩が統治していたとはいえ、道東・道北のあたりの土地は、手つかずの原野がほとんどであっただろう。
そのようなところを徒歩で回るというのは、想像を絶する過酷さだったに違いない。
毎日の食料が手に入るかも分からないし、害虫・害獣にも結構な頻度で出くわしただろう。
そんな想像をしながら看板の歌を眺めると、また違った味わいがある。
翁がしていた旅に比べれば、私が今しているような苦労を伴わない旅は、旅とは言えないような気がしてくる。
食料はどこでも手に入るし、車があればどこでも快適な寝床になるのだから。
それでも、見たことのないものを見られるのが楽しいというのは、古今で変わらない旅の醍醐味だろう。
山登りをしているからこそ思うが、苦労をすればするほど、たどり着いた景色への感動は大きくなる。
その点、昔の旅は今の旅に比べ、苦労も感動も何倍もあったに違いない。
今は旅が簡単になり、もしかすると、昔の人が感じていたような感動は味わえなくなっているのかもしれないが、旅が楽な分、たくさん色々な所を回れるようになった。
海外にも数時間で行けるぐらいだ。
見たことのない景色を、たくさん見に行きたいものだ。