ナラヤンヒティ宮殿を見物・王族殺害事件とネパールの民主化運動

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ナラヤンヒティ宮殿へ

 

次はナラヤンヒティ宮殿へ。

 

ナラヤンヒティ宮殿前の目抜き通り。

 

正面に宮殿が見えてきた。

 

ナラヤンヒティ宮殿内は写真撮影禁止なので、写真を撮っていない。

 

ここでは中の様子と、もらったパンフレットを元に、ナラヤンヒティ宮殿の説明を書いておくことにする。

 

ナラヤンヒティ宮殿の入口には大きなゲートがあり、その脇から入場できるようになっている。

警備をしている人がおり、物々しい雰囲気だ。

 

入場口のすぐそばにチケットカウンターがあり、入場料を払う。

 

チケットカウンターの隣には荷物預り所もあり、手荷物を預けて行くことになる。

係員に、衣服の下に隠していたセキュリティーポーチを見せたところ、にこやかにそれはOKだと言われた。

 

宮殿の正面から入り、入り口でチケットにスタンプを押してもらった。

 



ナラヤンヒティ宮殿の内部を見学

宮殿内を順路の表示に従って見て行く。

 

宮殿の外装は様式だが、内部も様式の部屋が多い。

書斎やミーティングルーム、プライベートルームなどを、観光客のネパリたちと一緒に見て回る。

 

近くにいたネパリのおじいさんは、青いスーツを着て、ネパールの伝統的なトピと言われる帽子をかぶっている。

 

ネパールでは、年配のネパリがスーツ+トピの姿で歩いているのをそこそこ見かける。

トピは赤を基調としたカラフルな帽子であり、一見スーツと合わなそうなのだが、見慣れてくると、不思議と良くマッチしているように思えてくるのだ。

 

私もトピが欲しくなってきた。

タメルに売っていないか、後で探してみよう。

 

私の近くには、他にネパリの女子二人組もいた。

私と見学のペースが似ており、見どころを譲り合いながら見て回る。

 

歴代国王の肖像画や、日本の平安時代のような絵、松と鶴の絵、sharpの箱型テレビもあった。

 

宮殿内は見どころが非常に多い。

全て見て回ると、けっこう時間がかかる。

 

宮殿内を一回りし、中庭も見て回った。

 

奥にシュリー・サダンという建物があったのだが、見落としてしまい、EXITと書いてあった正門の方に向かってしまった。

 

たぶん、シュリー・サダンの方にも出口があり、そちらから出る人が多いのだろう。

私が出ようとした門は鍵がかかっており、制服を着た人に鍵を開けてもらって外に出た。

 

チケットカウンターで荷物を受け取る。

 

ここがおそらく、シュリー・サダン側の出口だと思う。

 

ネパールが君主制から共和制に

ところで、ここナラヤンヒティ宮殿は、2008年まで王宮として使われていたそうだ。

 

王宮といえば、ダルバール広場でも旧王宮を見ていたことを思い出す。

ダルバール広場の王宮は1886年まで使用され、それから王の住居が、ここナラヤンヒティ宮殿に移ったそう。

 

民衆運動による政治の変化で、ネパールでは2008年に王政が廃止され、共和制となった。

そのときに、ナラヤンヒティ宮殿は王の住居ではなくなったようだ。

 

ナラヤンヒティ宮殿は、2009年から博物館として一般公開されたとのこと。

 

ところで、共和制というのは簡単に言えば、人民が主権を持つ政治形態である。

それに対し、国王などの君主が主権を持つ君主制というのもある。

 

ネパールは2008年まで君主制だったが、それから共和制となったということである。

 

ナラヤンヒティ宮殿の王族殺害事件

ネパールが君主制から共和制に移行し、民主化が進められる大きな契機となったのが、ナラヤンヒティ宮殿で起きた、王族殺害事件である。

 

詳しくはWikipediaを見てほしいが、2001年にナラヤンヒティ宮殿で、当時の王ビレンドラを含む多数の王族が殺害された。

犯人はディペンドラ王太子だと言われているが、ディペンドラ王太子も事件で亡くなっており、また事件に不自然な点が多いこともあり、真相は別にあるのではと疑う向きもある。

 

事件のあった当時、ディペンドラの弟ギャネンドラだけが地方に出ていたため、災いを免れており、事件後はギャネンドラが王位に就くことになった。

 

ただ、民主化を進めていたビレンドラに対し、ギャネンドラは強硬な保守派であったこと、また、王族殺害事件の不可解な状況から、ギャネンドラの王位継承に反対する民衆による、民主化運動が激化していった。

 

その結果、2008年にネパールは共和制となり、約500年も続いたゴルカ王朝は終焉を迎えたのである。

 

日本は共和制か君主制か

最後に余談だが、共和制とか君主制について調べていると、やはり気になるのは、日本はどちらなのかということだ。

 

このことは諸説あり、日本が共和制か君主制かというのは、決着が付いていない問題のようである。

 

日本国憲法には、

主権が国民に存する

と書かれているので、共和制のように思える。

 

ところが、やはり難しいのは、天皇陛下の地位をどう解釈するかという問題である。

憲法では、天皇陛下は君主であると定められていない。

そうかといって、君主でないと決めつけることもできないようだ。

 

もし天皇陛下が君主であるということになれば、日本は君主制ということになりそうなものだが。

 

さらに話をややこしくしているのは、君主制にも色々な分類があることだ。

 

君主制は、君主が絶対的な権力を持った絶対君主制と、権力が制限される制限君主制というふうに分けられる。

制限君主制の中には、君主の権力が憲法で制限される立憲君主制というのもあるので、日本は立憲君主制のような気もしてくる。

 

まあ、こういうのは言葉の問題であり、日本の政治体制をうまく言い表せるような言葉が無いだけという気もする。

 

あえて言うなら、日本国憲法で「主権は国民にある」と書かれているわけなので、衆議院憲法審査会のページに書いてある、

我が国は、純粋の君主国でも純粋の共和国でもない。あえて言えば、世襲の天皇を有する共和国である。

という文言が、私の感覚では非常にしっくりくる。

 

まあ、君主制と共和制の話はこのぐらいにしておこう。

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