一ヶ月かけてインドとネパールを旅してきた時の記録です。
このページでは、サダルストリートでの二日目、インド博物館を訪れた後に寄った、思い出に残るチャイの屋台での出来事について書いています。
チャイを飲みたいのだが...
インド博物館を見終えた。
博物館を出ると、「インドハクブツカンドウダッタ」と声をかけられる。
完全無視。
インド博物館前の通りは、屋台がたくさん出ており客引きも多い。
私の目の前にメニューをかざし、何か食って行けという人もいた。
インドの人の商売根性はすごいものだ。
このままサダルを真っすぐ行けばゲストハウスに戻れるのだが、少し周辺を歩いてみようと思った。
博物館には2時間ぐらいいたので、疲れているし喉も渇いている。
ジュースかチャイでも飲みたい。
だが、飲食店に入ることの難しさのページに書いたが、私は飲食店に入るのが苦手だし、屋台で何か頼むのも無理ときている。
納得しなければ動かない性格なので、システムの分からないものに飛び込んでいけないのだ。
店に入ったり、店員に話しかけてしまえば問題なく対応できるのだが、その踏ん切りがつかず、それだったらどこかで買って食べようということになってしまう。
インドではぜひ屋台でチャイを飲みたかったが、地元の人が集まっている屋台に飛び込んでいく勇気はなかった。
屋台で念願のチャイを頼む
サダルから別の通りに入り、またサダルに向かって歩いていると、一軒の屋台から声をかけられた。
良い機会とばかりにチャイを頼むことに。
屋台のおっちゃんがヤカンから注いでくれたチャイを受け取りつつ、値段を聞くために「ハウマッチ」とか「マネー」とか言ってみるが、よく通じない。
終いに、おっちゃんは私のチャイにポットの水を注ごうとしてきた。
ヒンズー語では、水のことを「パニ」と言うのだ。
私が言った「マネー」を「パニ」と勘違いし、水を注ごうとしてくれたようだった。
近くにいた人が、店主に私の意図を伝えてくれた。
始めて飲んだチャイは、とても甘かった。
スパイスなどは入っていない、いわゆるミルクティー。
ちょっとだけ茶葉の残骸が入っていた。
今日一日の疲れが吹き飛ぶ。
美味い。
旅を終えた後も忘れられない味になった。
インドに来てから食べたものは、食べ慣れない、口に合わない物もそこそこあった。
けれどこのチャイは、日本で飲んでいるようなものと同じ味だ。
これならいくらでも飲める。
屋台での注文なども、一回経験してみると色々と分かるようになってくる。
今回は声をかけてくれた屋台のおっちゃんに感謝だ。
できることが増えるのは良いことだ。
戸惑いながら苦労してこなしていたことが、問題なくできるようになっていく。
何でもできるようになれば生活は楽になるが、初めてのことが減っていくわけでもあり、少しばかり寂しい気もする。
思い出の屋台の隣の屋台
このチャイの屋台については、いくつか後日談がある。
実は、私に声をかけてくれた屋台のすぐ隣には、もう一軒の屋台があった。
二軒の屋台に向かって、左が私に声をかけてくれたおっちゃんの屋台、その右に、まだチャイを飲んでいない方の屋台がある。
二軒とも売り物はほとんど同じで、チャイはもちろん、ホットサンドなどの軽食も売っている。
この二軒は競合しているはずなのだが、二人の店主は親しいようで、私がチャイを飲んでいる間、仲良さそうに会話をしているのを見た。
お客を取り合ったりもしているのだが、どちらが先に声をかけるか、ゲーム感覚で取り合っているような感じだった。
見ていると微笑ましい。
ところで、私は物事が対称でないと気になってしまうタイプである。
どういうことかお分かりだろうか。
隣り合った屋台で、片方だけのチャイを飲んだ状態というのは、実によろしくない。
もう一軒の方でも飲んでおかないと、納まりが付かないということだ。
実に生き辛い。
というわけで後日、逆側から通りに入った時、飲んでいない方の屋台でチャイを頼むことにした。
値段は40ルピー。
味は、、、どうだったか、記憶が曖昧だ。
もう一軒と変わらなかった気がする。
チャイの屋台とのその後
それからは二つの屋台に順番に入ることにした。
また後日、次に行くのは向かって左の、私に最初に声をかけてくれたおっちゃんの屋台だ。
左の屋台に行くと、右のおっちゃんが悔しそうにしている。
もう慣れたもので、40ルピーを渡してチャイを注文。
お釣りとして10ルピーの紙幣をもらう。
受け取った10ルピー紙幣はボロボロで、茶色く汚れ切っていた。
他の店で出したら、受け取りを断られそうな紙幣だ。
おっちゃんとの思い出の品として、大切に取っておくことにするか。
※下の画像の一番左の紙幣
通りの端に置いてあるベンチに座り、行き交う車やバイクを眺める。
こうしていると、何だか通りの一部になったような気がしてくる。
このようにして少しずつインドに馴染んでいくのだろうか。
もちろん、私はインドの人たちと見た目は違うし、馴染むといっても限界はあるだろうけれど。
そんなことを考えていると、屋台のおっちゃんから、「どこから来たか」と尋ねられる。
「日本から来た」と言うと、「日本のどこだ」と言われるので「新潟だ」と答える。
すると、「日本に行きたいからお前の住所を教えてくれ」と言われた。
ボールペンと紙を手渡される。
何じゃそりゃ。
怖い。
紙にテキトウな住所を書いて渡す。
新潟というのは教えてしまったので、Niigataという言葉を入れつつ、テキトウな住所を作った。
紙を渡して屋台を後にする。
その後、この屋台に通うことはなかった。
屋台のおっちゃんの行動はどう解釈すれば良いのか。
ただのインドジョークだったのだろうか。
それとも本気で日本に来るつもりだったのだろうか。
インドの人たちの、こういうところがよく分からないし、恐怖だ。
けれども日本では体験しない出来事だから、面白くも感じる。
様々な感情がない交ぜになる。