2021年のお盆のころ、青森県のむつ市にある恐山菩提寺で宿坊に泊まってきました。

このページでは、その旅行記の前書きとして、(2021年9月時点で)恐山菩提寺の院主代理である、南直哉さんの本にはまっていた時のことと、
恐山や、恐山菩提寺の宿坊についての説明を書いていきます。
南直哉さんの本にはまる
まず、なぜ恐山に行きたくなったのかということを書いておきます。
いきなり重たそうな話になりますが、私は大学生のとき、
「なぜ自分は生きているのだろうか、生きる目的は何なのだろうか」
ということを、ずっと考えていた時期がありました。
そのとき、周りの人に聞いても満足な答えを得られなかったので、答えを求め、哲学や宗教などの本を大量に読みました。
哲学書などは、さっぱり内容が分からなかったのですが、禅問答の本を読んだ時に、なんとなく「ここに答えが載っている」という感じがしました。
それから禅に関する本を読み漁ったのですが、そのとき読んだ中に、南直哉さんという方が書いた、なぜこんなに生きにくいのかという本がありました。
この直球なタイトルを見た時、これが探していた本だと直感し、南直哉さんの本を読み始めました。
なぜこんなに生きにくいのかの他に、語る禅僧や老師と少年などもその当時に読みました。
これらの本には、仏教や宗教、人生についての南さんの考えが載っています。
「悟り」は開けないというタイトルの本もあったりして、手加減や誤魔化しをしない書き方が、だからこそ真摯な感じを受け、南さんの著作を集めるようになりました。
さて、なぜ恐山に行くのかという話に戻りますが、本の著者の南直哉さんは、恐山菩提寺の院代(山主代理)をされていました(2021年9月時点)。
それで、もし会えるなら会ってみたい。
会えなければ、まあそれでも良いかと思い、恐山に行ってみようと思ったのです。
また、恐山という場所そのものにも興味がありました。
小学生のころにプレイしていた、NINTENDO64のがんばれゴエモン ネオ桃山幕府のおどりというゲームに、恐山が出てきており、その印象が強く心に残っていたのです。
人間は案外、小さい頃の記憶や体験に行動を左右されているのかもしれません。
青森県むつ市の恐山について
さて、そんなわけで、青森のむつ市にある恐山まで、どうしても行ってみたくなりました。
恐山は、青森県むつ市に属している、本州北端の下北半島にある山です。
まず「恐山」という名前からおどろおどろしい感じを受けます。
それに恐山といえば、霊を降ろすイタコさんが有名であり、なおさら恐ろしい感じがします。
恐山には宇曽利山湖という湖がありますが、その付近には荒涼とした風景が広がっています。
恐山周辺では硫黄性のガスが噴出しており、地面は黄色く染まり、一帯は硫黄の臭いが立ち込めていました。
硫黄のガスで、スマホやデジカメなどの電子機器がやられやすいそうで、当日は電子機器をビニール袋に入れて持っていきました。
また、服に硫黄の臭いが染み付き、しばらく臭いが取れなかったので、気にする方は服装に気をつけていったほうが良いと思います。
恐山のことをもっと詳しく知りたい方は、恐山: 死者のいる場所という本を読むことをお勧めします。
この本は、前に述べた南直哉さんが書いています。
実際に恐山に住んでいる筆者が、恐山がどのような場所かということについて綴った本です。
恐山菩提寺の宿坊「吉祥閣」について
恐山には、「恐山菩提寺」というお寺があります。
このお寺に「吉祥閣」という宿坊があり、一般の参観者でも宿泊させてもらうことができます。
青森県のサイト(このページを更新した2025年3月現在、もうページは無くなっていました)によれば、泊めてもらうには、「一週間前までに電話で予約が必要」と書いてありました。
料金は、一泊二食付きで12000円+入山料500円です(2021年8月時点)。
ちなみに、宿坊に宿泊するということは、旅館やホテルなどに泊まるのとは、色々な面で違いがあります。
例えば、
・食事の際には「五観の偈」というものを唱えてから黙々と食べる
・22:00消灯
・宿泊日の翌日は、6:30から朝のお勤めを行う
などなど、ホテルや旅館に泊まるのとは違った行動様式になります。
宿坊は、旅館やホテルなどのようなサービスは受けられないというのが一般的ですが、実際に泊まってみて、むしろホテルや旅館などよりもサービスが良いのでは、と思ったような部分もありました。
コロナ禍だったのでソーシャルディスタンスなどには気を使いながらですが、受付の方と世間話などもでき、とても良い時間を過ごすことができました。
新潟から恐山への道・一日目
ページの最後に、新潟から青森の恐山へと向かった時のことを、ダイジェストで書いておきます。
新潟から、青森の恐山までは車で行きましたが、かなり長い道のりでした。
一日目は、新潟と山形の県境辺りを9:30ぐらいに通過。
その後、ひたすら海岸沿いを北上しましたが、山形の酒田市から秋田市までの道のりが、非常に長く感じました。
途中、にかほ市の少し北のあたりに、「道の駅象潟ねむの丘」があります。
ここにはレストランや展望浴場もあり、施設が充実しています。
また海岸沿いを北上していくと、左前の海の向こうに大きな陸地が見えてきました。
男鹿半島です。
男鹿半島は地図で見るとそれほど大きく感じないのですが、実際に見るとかなりの大きさでした。
このときは行きませんでしたが、2024年の秋に男鹿半島に寄りました。

秋田市の辺りから内陸に折れ、十和田湖方面に向かいました。
交通量も少なく道も快適ですが、いかんせん距離が長い。
しばらく大型トラックの後ろに付いていったりと、一期一会を楽しみました。
ようやく十和田湖に着いたころには、16:00ごろになっており、辺りは薄暗くなり始めていました。
それにしても十和田湖の美しいこと。
霧がかかって静謐で、幻想的な雰囲気でした。
対岸が見えないので、何も知らずに連れて来られたら海だと勘違いしていたかもしれません。
この辺りもゆっくり見たかったのですが、だいぶ遅くなっていたのでどこにも立ち寄りませんでした。
十和田湖にも、また2024年に立ち寄りました。

十和田湖の東側を回る形で、さらに北東に向かいます。
途中で奥入瀬渓流を通りましたが、ここも素晴らしい景色でした。
夕暮れ時の、辺りが薄暗い中、道路のすぐそばに、木々に囲まれた渓流が広く浅く流れています。
変な喩えですが、古き良き旅館の入り口を連想するような眺めでした。
いつか奥入瀬渓流もゆっくり散策してみたいと思っていましたが、2024年に再度訪れて散策しました。
奥入瀬渓流を通り過ぎ、18:00ぐらいに青森県の十和田市に着きました。
十和田市の中心部にある「十和田市民文化センター」の駐車場に車を停め、「スーパーホテル十和田天然温泉」に宿泊しました。
十和田市民文化センターはホテルと提携しており、ホテルの駐車場が満杯のときは、文化センターの有料駐車場に停めることになっているようです。
ホテルで駐車場の件を伝えると、駐車券をもらえました。
晩御飯はどこかの食堂で食べたかったのですが、余計な場所には立ち寄らないようにすると決めていたので、道中のコンビニで買ったオムライスで済ませました。
コンビニの飯も、外食と同じかそれ以上に美味いものも多くなりました。
見た目は少なく見えるのですが、食べてみると結構お腹いっぱいになります。
運転疲れで、部屋でぐったりしながら一日目が終わりました。
新潟から恐山への道・二日目
二日目の朝、ホテルの部屋で朝食を取りました。
朝食はバイキングでしたが、専用の容器に食べ物を入れて部屋に持って帰ることができます。
十和田名物の豚バラ焼きなどもあり、満足な朝食でした。
早速、車に乗って北上し、下北半島のむつ市を目指します。
下北半島のくびれ部分に向かって車を走らせていると、徐々に町並みが変化してきました。
これこそ港町、と思うような雰囲気の町を通ります。
そうして下北半島の付け根に到着しました。
この辺りの道は、海沿いを通っていますが、周囲は木に囲まれて海はほとんど見えません。
のどかな景色に囲まれながら、ひたすら北上します。
しばらく走ってむつ市街に到着しました。
なお、画像はどれも天気が悪いですが、実はこのとき、台風が青森に接近していました。
恐山に行く前、せっかくなので本州最北端の大間に行きたいと思っていました。
ところが、道が冠水してしまい、大間への道が閉ざされてしまいました。
普段新潟に住んでいるので、青森の下北半島は、中々来られる場所ではありません。
このときは悔しい思いをしましたが、3年後、北海道一周の帰りに大間に立ち寄ることができました。
さて、市街地を縦断し、「むつ恐山公園大畑線」という道に入ります。
※この道は冬季閉鎖になるようです。
道に入った瞬間、かすかに硫黄の臭いを感じました。
この道は山を切り開いて作った道のため、アップダウンやカーブが激しい道です。
道なりに進んでいくと、途中でいくつかのお地蔵様を見つけました。
湧き水を汲める場所もあるようです。
しばらく雨の山中を走ります。
ふと、硫黄の臭いが強くなりました。
途端に視界が開け、眼前に湖が現れました。
宇曽利山湖です。
奥には恐山菩提寺が鎮座していました。
※なお、画像では天気が良くないように見えますが、このときは台風が近づいていました。