前書き
この文章は、ネパールから帰国して8ヶ月ぐらい経ったころに書いている。
元々このページ自体を作ったタイミングは、帰国してから1ヶ月後ぐらいだった。
旅のまとめを書かなければと思い、いざページを作ってみたのだが、書きたいことが多すぎて冗長になってしまった。
それに、旅から帰ってすぐだったので、刺激的なことばかり思い浮かんでしまい、内容もそれに準じてとがってしまう。
一旦ページの内容を見直すことにして、書いたものを消してしまったのだが、そうしてみると、逆に何を書いたら良いのか分からなくなり、今までこのページをそのままにしてしまっていた。
旅から半年以上が経った現在、当時の思い出が、多少なりとも熟成されてまろやかになってきたと思うので、そろそろまとめを書いてみようと思う。
思い付くままに、旅のことを思い返してみるとしよう。
インドとネパールで出会った人たち
さて、旅から帰った後しばらくして、旅のことを振り返ってみると、おぼろげながらではあるものの、まだまだ色々なことが思い出されてくる。
まず思い出されるのは、旅先で会った人たちのことだ。
インドに入って最初のコルカタで会った人たち、サトシさんやアキラさん、私をカモにしようとした日本語を話す客引き、レストランの店員たち、ゲストハウスの人たち、、、
コルカタでは、他にも様々な人たちと出会ってきたが、ほんの少し関わった人であっても、いつどこでどんな関わり方をしたかということは、まだよく覚えている。
その人たちの顔の詳細や、会話の一言一言はさすがに覚えていない。
ただ、一人一人の雰囲気や、どんな会話をしたかということ、その人たちにどのような印象を持ったかということは、今でもありありと思い出される。
これは、最初に訪れたコルカタだけでなく、その後に訪れたブッダガヤや、ネパールに入ってから出会った人たちにもいえることだ。
ブッダガヤで会ったガイドたちや、ゲストハウスの人たち、日本寺の人たち、、、
ブッダガヤからカトマンズへ向かう途中で会った、リキシャの運転手、駅員、バスの乗務員、ラクソウルのホテルの従業員、国境の役人、ビルガンジのジープの運転手や、一緒にジープに乗った人たち、、、
タメルの客引きやホテルの従業員、観光地で会ったガイドたち、立ち寄ったレストランの従業員、土産物屋の店員、、、
旅のことを思い出そうとした時に、出会った人たちのことが真っ先に浮かぶのは、それだけ旅で出会った人たちのことが、印象的だったということだろう。
コルカタの思い出
次に思い浮かぶのは、旅で訪れた場所のことだ。
コルカタ、ブッダガヤ、国境のラクソウルやビルガンジ、カトマンズのタメル地区、、、
他にも様々な場所を訪れたが、場所ごとに雰囲気が違っていたのが印象的だった。
コルカタはとにかく人が多く、道路には車やバイクがひしめき合い、夜中までうるさかった。
「喧騒」の一語がよく合う街だった。
サダルストリートもその周辺も、夕暮れ時になるとたくさんの人が外に出ていて、活気があって面白かった。
早朝には道端にニワトリが並べられていたのも、衝撃的だった。
まだインドに来たばかりだったので、必要以上に色々なものを警戒しながら歩き回っていたのと、三日目ぐらいに熱を出してしまったため、十分に楽しめなかったのが残念ではある。
また行ってみたい気もするし、二度目はまあいいかなあという気持ちもある。
ブッダガヤの思い出
コルカタの次は電車に乗り、ブッダガヤへと向かった。
ハウラー駅で17時間座りっぱなしだったとか、電車を間違えたこととか、今では良い思い出だ。
ブッダガヤは、コルカタの喧騒と打って変わり、静かな場所だった。
日中はバイクやリキシャが行き交い、人も多いので、うるさいことはうるさい。
コルカタと大きく違うのは夜だ。夜はシーンと静まり返っていた。
ブッダガヤの日本寺には、毎日訪れた。
道端でガイドたちが話しかけてくるので、特に来たばかりのころは、騙されないか、犯罪に合わないかと不安で仕方なかった。
そんなささくれ立った心を癒してくれたのが、日本寺だった。
日本寺で座禅をしていると、心が落ち着いてくるし、管理人とも毎日のように座って話をした。
見知らぬ土地でも、通う場所があると落ち着くものだ。
ブッダガヤには一週間の滞在だったが、しばらくすると、すっかりブッダガヤが気に入ってしまった。
ブッダガヤも、人通りや車通りは多いのだが、コルカタとは違ってのんびりした空気が漂っている。
根底が田舎町だというのが、コルカタとの大きな違いなのだろう。
ガイドたちは相変わらず面倒だったのだが、電車の切符を取るのを手伝ってくれたり、色々と情報をくれたりと、有難いことは有難かった。
ゲストハウスの人たちとも、たまに話をしたり、学校を見学させてもらったことも良い経験になった。
日本寺の管理人からも、また来いと言われた。
ブッダガヤ、いつかまた行きたいものだが、行くには手間と日数がかかる。
また行ける機会があるだろうか。
国境へ向かうバスの思い出
ブッダガヤの次は国境へと向かった。
ずっと不安だったのが、ブッダガヤから次のパトナに行った後、国境行きのバスに乗れるかどうかということだった。
調べてみても、パトナのバススタンドの場所や、バスの乗り方などは分からない。
こういう性格には個人差があると思うが、私はとにかく、事前に物事の段取りが決まっていないと、落ち着かない性格なのだ。
ところが、パトナに行ってみたら、バスに乗るのは簡単だった。
駅前のリキシャが向こうから声をかけてくれたので、「ラクソウル バススタンド」と尋ねてみたら、バススタンドまで連れて行ってくれて、さらに案内人のような人に話を通してくれたのだった。
インドではこのように、向こうから声をかけてくれることが多かったので、引っ込み思案な私でもわりと楽に旅をすることができた。
そういう意味で、インドは旅をしやすい国だという気がする。
犯罪は多いらしいので、その点気を付けなければいけないが。
そういえば犯罪について、話はわき道に逸れるが、インドでは犯罪らしい犯罪に出会わなかった。
不用意に人に付いて行かなかったのと、夜に出歩かなかったのが良かったのかもしれない。
小銭をちょろまかされたことは、たぶん何度かあった。
だが、明確にちょろまかされたのかどうか、はっきりとは分からず、今でもスッキリしない。
さて、パトナで乗ったバスは、一路国境のラクソウルを目指して進んだ。
バスの中では、少し空いた窓からの心地よい微風に吹かれ、周りからはヒンドゥー語が聞こえ、旅の中で一番、旅をしている気分に浸れたものだった。
車窓から見える風景がとても面白く、途中何度か睡眠をとりつつも、ずっと窓の外を見ていた。
パトナやムザファルプルは、道がガタガタだったものの、まだ都会といえば都会だった。
次のモティハリ辺りからは、ボロボロの家が目立ち始めたり、小さな市場では道端に野菜や果物が並べられ、道路に牛や象がいたりと、徐々に田舎の雰囲気になってきた。
このあたりは、観光客が訪れないような場所だからこそ、衒いの無い、インドらしさが詰まった風景だった。
モティハリを過ぎてからは、道の両脇にずっと水田が続いていたと思う。
そして時折、ボロボロの家があり、現地の人たちがたくさん集まったりしていた。
彼らの姿は、通り過ぎるバスの中から一瞬見えただけである。
たぶん、これからの私の一生のうち、彼らの姿を見ることは二度とないのだろう。
そんなことを考えていると、一期一会とか、そういう言葉が頭の中をグルグルと回り始める。
ラクソウルから国境を越えてビルガンジへ
インド側の国境の町ラクソウルは、これまでに見てきたインドの町とは、また違った様子だった。
バスから降りるとき、バスの入口には、すでにたくさんのリキシャ運転手が待ち構えていた。
そのうちの一人をつかまえて「グッドホテル」に連れて行ってもらったが、乗車中に見た町の様子は、とても雑然としていた。
道路にはゴミが散らばっているし、舗装されていないので、所々でリキシャがバウンドする。
夕暮れ時だからなのか、道には多くの人が出ていて、混雑している。
やっと連れて行ってもらったホテルは、外国人料金が適用され、これまでに泊まったホテルよりも高かった。
これまでに目にしたものを反芻しながら、何となく、そうか、これが国境なんだなと思った。
ホテルに一泊し、翌朝、国境を目指して歩いた。
朝のラクソウルは、屋根から屋根へと飾りが渡され、道にはさらに多くのゴミが落ちており、さながら祭りの後のようだった。
念願の国境は霧に包まれ、何というか、国境を越えるのにぴったりの雰囲気。
ネパール側のビルガンジのイミグレで、パスポートに判子をもらった時は、とても嬉しくなったものだった。
歩いて国境を越えるなんて、日本に住んでいたら経験できることではない。
それも、インドに入って電車とバスを乗り継いで国境を目指し、ようやく越えることができたのだから、嬉しさも一入だ。
ここに来るまでに色々あったので、なおさら感慨深い。
ビルガンジ市街に入ると、ラクソウルとはまた違った趣だ。
何というか、日本の商店街のような雰囲気の町だった。
カトマンズ行きのジープを探すため、パトナで学んだようにリキシャをつかまえ、案内してもらった。
ビルガンジからカトマンズのタメル地区へ
ビルガンジにも滞在したかったが、それ以上に、早くカトマンズのタメルに行きたい、日本食を食べたいという気持ちが勝り、すぐにカトマンズへ向かったのだった。
ジープでの山道越えは長かったが、刺激的だった。
タメルに着いた後は、ひたすら日本食を食べた。
やっぱり食べ慣れたものは良い。
食は大事だ。コルカタにいたころから、ずっと日本食が恋しかった。
しばらく後、ようやく日本食に満足したころ、インドとネパールの食べ物も食べておこうと思い、ダルバートなども食べた。
タメル周辺の街歩きは楽しかった。
建物の窓枠が精巧で歴史ある木彫りだったり、街中にストゥーパが建っていたりして、目を楽しませてくれる。
歩いているだけで楽しい。
客引きはいるが、広場などの観光地以外であれば、インドのようにしつこくない。
タメルでは毎日外出し、色々と見て回った。
ホテルのオーナーに勧められ、マウンテンフライトでエベレストも見た。
これで旅の目的はほぼ完遂した。
ブッダガヤと同じく、タメルにもいつまでもいたいと思ったが、旅に出てからちょうど一ヶ月。
区切りが良いので帰ることにした。
旅で得たもの
以上が旅の概要だが、さて、この旅では何を得たのだろう。
インドに行くと人生観が変わるというのは、よく聞く話だ。
ところが、私自身に限っては、人生観が変わったのかどうかよく分からない。
旅の中では色々な出来事があった。
・コルカタではたくさんの物乞いの人たちに会い
・ブッダガヤの子どもたちからお金をせびられ
・寄付で成り立っている学校を見学し
・歩いて国境を越え
・各地でしつこい客引きたちにつきまとわれたりした
これらの経験を通しても、明確に人生観が変わった気はしない。
事前に本で、インドのカオスさについてたくさん読んでいたので、実際に行ってみて、思ったよりもしっかりした国なんだなと思ったぐらいだ。
思うに人生観というものは、そう簡単に変わったとか変わらないとか、議論できるようなものではないと思うのだ。
人生観は人間の土台になるものであり、簡単に認識できるようなものではないと思う。
刺激的な体験をして、何かを悟るようなことがあったとしても、それが人間の土台の部分まで作用したかといえば、よく分からないのではないか。
まあ人生観についてはよく分からないので、このぐらいにしておこう。
旅に出る前と大きく違うのは、度胸が付いたことだろうか。
帰ってきてから新しい仕事に就いて思ったのだが、面接を受けたり、実際に仕事をしてみると、物怖じをしなくなったように感じる。
知らない人と会っても全く緊張しなくなった。
インドとネパールで色々な人に出会い、胆力が鍛えられたのかもしれない。
また、インドとネパールでは、成り行きに任せるということを学んだ。
これは仏教でいう所の、諦念に近いのかもしれない
例えばブッダガヤにいたとき、次に向かうパトナから、ラクソウル行きのバスの乗り方が調べても分からず、不安で仕方なかった。
ところがパトナに行ってみると、リキシャの運転手が寄ってきたので、任せてみたら万事うまく取り計らってくれた。
言葉が分からず、コミュニケーションが上手く取れなくても、そこにいる人に任せておけば何とかなるということが分かった。
成り行きに任せるという考え方のおかげで、今後何があっても大丈夫という気がする。
人間関係で何かがあっても、最大限できることをやって、後は成り行きに任せておけば良い。
根無し草の面白さ
一人旅の面白さは何かと考えると、やはり圧倒的な自由さにあると思う。
どこへ行っても良いし、どこへも行かないこともできる。
その日その日の予定を自分の裁量で決められるのだ。
特に楽しいのは、旅に出る前など、旅の計画を立てたり、旅先に思いを馳せたりしている時だ。
そんなときは、旅先の不便さ(道が汚いとか客引きがしつこいとか、乗り物に乗るのが面倒くさいとか)が頭に浮かばないし、期待にあふれ、旅先のことで頭がいっぱいになる。
いざ旅に出るときになると、不安になり、旅に出るのをやめようかと思ったりもする。
実際に行ってみると、やっぱり楽しいのだが。
旅先で、予定を自由に変更できるのも、自由な旅の良さだ。
インドでは、ブッダガヤからバラナシに行った後、スノウリ国境を目指そうと思っていた。
ところが、クンブメラという宗教行事があったので、電車を取れず、バラナシに行けなかった。
そこで予定を変更し、パトナ経由でラクソウル国境を目指すことにした。
これがもし、予定が決まっていたり、人と一緒の旅行だったのならば、柔軟に変更できなかったかもしれない。
やはり自由な根無し草として、行きたいところに行けるというのが、旅の醍醐味だろう。
何もかも自由だというのは素晴らしい。
定職に就いていれば、自由に一ヶ月も旅をするなどできないだろう。
その分根無し草には、フワフワして足元が不安定だというデメリットもある。
自由な旅先でも、つい日本に帰ってからの生活のことを考えてしまう。
自由な旅と安定した生活は、両立が難しいものだ。
今は仕事を始めてしまったので、長旅に出ることはできないが、いつかまた外国を訪れたい。
行ってみたい場所はまだまだたくさんある。
トルコのイスタンブールで、アジアとヨーロッパの境目となるボスポラス海峡を眺めてみたい。
エジプトのピラミッドも生で見てみたいものだ。
ウズベキスタンの歴史的建造物とか、最近ビザが不要になったタジキスタンとかも見てみたい。
中国の西部、西安からシルクロードをたどり、敦煌とか烏魯木斉、カシュガルの方まで行ってみたい。
インドやネパールに戻って、今回知り合った人たちと、また会いたいとも思う。
今回いけなかったバラナシとか、デリーも行ってみたい。
ネパールのポカラやルンビニ、飛行機でルクラまで行ってナムチェバザールまで歩き、直接エベレストを見てみたい。
いつか定年退職したら、また自由な旅に出たいものだ。