【十和田湖と発荷峠からの眺め・大湯環状列石で古代に思いを馳せる】秋の東北へ:その13
10月の上旬、新潟から青森へと日本海側を北上し、奥羽山脈のあたりを通りながら帰ってきた時の記録です。
このページでは、十和田湖を通り大湯環状列石を見に行った時のことについて書いています。
十和田湖畔へ
奥入瀬渓流の銚子大滝を見物した後、十和田湖に向かった。
湖に出てすぐのところに駐車場があったので、車を停めて散策することに。
久しぶりの十和田湖。
十和田湖を最後に見たのは、3年前に新潟から青森の恐山を見た時だった。
あのときは時間に追われていたし、真っ暗で雨も降っていたので、とても景色を楽しむ余裕はなかった。
十和田湖をじっくり見るのはこれが初めてだった。
感慨深い。
近くにある土産屋で、なまはげのキーホルダーとリンゴを買った。
リンゴはスーパーに売られている物のような艶はなく、夕日のような色をしている。
とても美味そうだ。
夜食にでも齧って食べることにしよう。
発荷峠の展望台
車を走らせ湖の南へ向かう。
十和田湖を半周し、発荷峠第一展望休憩所という所に出た。
十和田湖が良く見える。
紅葉はこれからが見ごろだ。
大湯ストーンサークル館へ
十和田湖を後にし、今日のもう一つの目的地、大湯環状列石へと向かう。
最近、日本のルーツについて考えており、前日にはその一環で三内丸山遺跡を訪れた。
これから行く大湯環状列石も、青森に行くと決めた時に、どうしても見てみたいと思っていた。
環状列石の隣にある、大湯ストーンサークル館に到着。
建物の外に環状列石があるのだが、まずは館内を見学することに。
三内丸山遺跡でもたくさんの土器を見たし、北海道一周の時や、地元の新潟の博物館でも、何度も土器を目にしてきた。
土器は何千年も前の遺物ではあるが、実はそれほど珍しい物ではないのかもしれない。
もちろん一口に土器といっても、作られた年代や種類に違いがあり、見つかりにくいものや、考古学者が血眼で探しているような物もあるのかもしれないが。
装身具の遺物。
人が装身具を身に付けるのは、昔も今も変わらない。
人間の精神性も、古代から現代までそれほど大きく変わっていないのかもしれない。
大湯環状列石の見学
ストーンサークル館を出て、環状列石を見に行く。
後30分ほどで見学時間が終わるので、少し早足だ。
あの建物の辺りに、環状列石があるのだろうか。
少し行ったところにもう一つ環状列石があるようだ。
行ってみよう。
ここで環状列石を見ていたとき、ふと、これを見るために青森まで来たのだという思いが去来した。
なぜそう思ったのかは分からない。
環状列石を通して、古代から脈々と受け継がれてきたものを感じ取ることができたような気がする。
環状列石を後にした。
がんばれゴエモンネオ桃山幕府のおどり
環状列石を見てから、昔やったNINTENDO64のゲーム「がんばれゴエモンネオ桃山幕府のおどり」を思い出していた。
このゲームに羽後のストーンサークルというものが出てきていたのだが、大湯環状列石がモデルだったのではないかと思いついたのだ。
羽後とは昔の地名だ。
羽後に含まれる地域を調べてみると、環状列石のある鹿角市はギリギリ入っていない。
大湯環状列石が、ゲームに出てきた羽後のストーンサークルのモデルかどうかは微妙なところだ。
まあそれはいいとして、大昔のゲームの記憶が、私を大湯環状列石に結び付けてくれたのかもしれないと思った次第である。
ネオ桃山幕府のおどりというゲームには色々な思い出がある。
プレイしたのは今から20年近くも前のはずなのだが、今でもゲームの場面をいくつも思い出せる。
プレイ中は日本全国を旅しているような気分になったもので、特に雪の東北地方が、物悲しい雰囲気も相まって印象深かった。
だから私は東北に惹かれるのだろうか。
案外、人間は小さい頃の記憶に行動を左右されているのかもしれない。
道の駅かづの あんとらあへ
大湯環状列石から、鹿角の市街地へ向かう。
道の駅かづの あんとらあに到着。
とりあえず、併設のレストランで夕食を食べることに。
ハンバーグ定食を注文。
とても美味い。
今日は酸ヶ湯温泉で昼食に鴨そばも食べていた。
美味いものを食べすぎている。
贅沢しすぎだ。
美味いものついでに、夕食の後のデザート。
十和田湖で買ったリンゴに、道の駅で買ったシャインマスカット。
1度に2つは食べられないので、まずはシャインマスカットから食べることにしよう。