【北海道最北端の宗谷岬に到達】車で北海道一周の旅・その34
車で北海道をほぼ一周したときの記録です。
このページでは、北海道最北端の宗谷岬を訪れた時のことについて書いています。
稚内から宗谷へ
稚内駅を出る。
宗谷岬へ向かう前に、稚内のコインランドリーに立ち寄らねば。
3日前に旭川を出てから洗濯をしていなかった。
日中が暑く、行動しているとすぐに汗をかく。
洗濯物があっという間に溜まってしまう。
洗濯を済ませ、いよいよ宗谷へ向かう。
稚内から宗谷までの道は特に景観が良い。
道の左右が開けており、岬もトンネルもなく、はるか彼方を走って来る対向車が見える。
内地の方に目をやれば、なだらかな丘陵地帯が広がっている。
小倉霊現大僧正の記念碑
宗谷に向かう途中、小倉霊現大僧正の、御巡錫記念碑があった。
「御巡錫」という単語についてだが、「錫」というのは金属のスズのことで、ここでは錫杖のことをいう。
錫杖をついて各地を行脚することを、御巡錫というようだ。
小倉霊現大僧正という人物の名前を初めて見たので、少し調べてみた。
念法眞教という、仏教系宗教の開祖だそうだ。
念法眞教の公式サイトで教えなどを見てみると、特に日常生活を大切にすることを教義としている宗教のようだ。
在家でも実践しやすい教えだ。
来年の2025年に、立教100周年を迎えるそう。
公式サイトに載っている、小倉霊現大僧正の活動年表に、
昭48.10.4 開祖、北海道ご親教のおり、日本最北の地稚内に向かい、稚内公園に建つ「氷雪の門」「九人の乙女の碑」に参拝し、追悼と平和の祈りを捧げ、日本の平和と安全を祈念。
とある。
北海道に来られたのは、今から51年前のことだ。
このことを記念して碑が建立されたのだろう。
ぽつぽつと雨が降り出してきた。
鷺のような鳥が、長い脚で海面に立っていた。
不思議な光景だ。
宗谷岬とモニュメント
御巡錫碑からさらに道を進み、ついに北海道最北端の地、宗谷岬に到着した。
着いた。
小樽からここまで5日かかった。
長かった。
感慨も一入だ。
最北端の海岸。
海水をなめてみたが、普通の海水の味だった。
間宮林蔵の銅像だ。
幕末の探検家、間宮林蔵は、樺太が島であることを見出した人物として有名である。
日本地図を作製した伊能忠敬から測量の技術を学び、北海道の北方を測量・地図の作成を行った。
樺太からユーラシア大陸までの海峡は、間宮海峡と名付けられている。
日本最北端の地のモニュメントだ。
ここで中国の人に声をかけられた。
「~~ピクチャー」と言いながらスマホを見せるので、写真を撮ってほしいのだろう。
間宮林蔵の銅像や、モニュメントを背景にして記念写真を撮った。
北海道に来て5日目、初めて人と話をした気がする。
店のレジや観光地で、業務的なやりとりをすることはあったが、いくばくかでも感情を交えたやりとりは、本当に久しぶりだった。
自分の性格的にも、北海道を旅する中で、人と話をすることはあまりないだろうと思っていた。
旭川の道の駅で、道外から来た人たちが集まって話をしていたのだが、人付き合いが面倒で加わらなかったぐらいだ。
それにしても、5日目にして最北端の宗谷岬で、それも中国の人と英語で会話をするのが、北海道に来て初めてのちゃんとした会話だったというのが面白かった。
英会話が得意なわけではないので、片言で単語を並べるだけだったのだが。
宗谷周辺を散策
岬の周囲には、土産物屋や飲食店が多い。
展望台もあるようだったが、雨が本格的に降り始めたので寄らないことにした。
土産物屋だけ巡り、次の目的地に向かうことにしよう。
天候も相まって、海は日本最北端の地にピッタリの雰囲気を醸し出している。
最北端の地の自動販売機。
バスで団体の観光客が来ていた。
ツアーは自分で運転しなくてよいから楽だ。
その代わり、行きたいところに自由に行けないというデメリットもある。
自分で運転ができない歳になったら、ツアーで各地を巡るのも楽しいかもしれない。
お土産屋は結構広く、最北端の地ならではのものが売っている。
最北端に到達した証明書や、宗谷岬のストラップ、お菓子類も豊富にある。
変わったものだと、他の土産物屋でも見かけたが、封筒に北海道のつまみが入っていて、それをそのまま郵便で送ることができるというお土産もあった。
購入して、最北端の郵便局で送るのも乙だろう。
証明書といくつかのストラップ、タオル、犬のおやつ、ポストカードなどを購入した。
中々来られない場所なので、ついたくさん買ってしまいたくなる。
最北端の神社。
さて、先へ進もう。
最北端のガソリンスタンドで給油をし、証明書をもらった。
余談:「覚悟はよいか」と「食えなんだら食うな」
「小倉霊現大僧正の記念碑」の項で述べた念法眞教について、年表を見ていた時に、おやっと思ったことがあった。
年表曰く、
昭49.4.2日本の良き伝統文化の継承発展を目的に「日本を守る会」が結成。臨済宗円覚寺派管長(当時)朝比奈宗源老師と共に、開祖、発起人として協力。
とのことだ。
朝比奈宗源老師といえば、臨済宗・円覚寺派の管長であった禅僧だ。
ちょうど一年ほど前に、ごま書房から復刻された、覚悟はよいかという本の著者でもある。
私はこの本を何べんも読み返してきたので、念法眞教の年表に書いてあったお名前に目が留まったのだ。
この本は仕事で辛いときなどに読むと、私の辛さなど屁でもないと思わせてくれる。
同時代の禅僧に関大徹さんという方がいて、ご著書の食えなんだら食うなも、何回読んだか分からないほど読み返している。
今でも机のそばに置き、ことあるごとに開いている。
「食えなんだら食うな」は自分が読む分だけでなく、贈答用に何冊も購入した。
お二人の禅僧は、おおよそ同時代、日清戦争から日露戦争・第二次世界大戦・そして高度経済成長期ぐらいの、日本の動乱期を生きてきた方々である。
そのためか、書いてあることは切れ味鋭く、智慧に富み、何より厳しさの中に深い暖かさを感じさせる。
今の日本で、こういう本が日の目を見るようになってほしいと、強く思う。
この二冊には大学生のころに出会いたかった。