釜谷キャンプ場に到着
内浦から粟島の南岸を回り、釜谷に着いた。
釜谷の集落に着いた時点で、時間は9:00を少し過ぎたぐらいだ。
内浦のキャンプ場を出たのが、7:00過ぎだった。
ということは、内浦のキャンプ場から南回りで釜谷まで、途中で八幡鼻を挟んでも、2時間かからないぐらいということになる。
釜谷の集落を通り過ぎていく。
まずはキャンプ場を目指す。
坂を上るとバス停がある。
ここを左に折れると下り坂があり、その先に目指すキャンプ場がある。
海が見えてきた。
トイレと句碑がある。
水場も4年前に見た時のままだ。
ようやく着いた、釜谷のキャンプ場!!
左を向くと弁天岩。
人っ子一人いない。
今日はここを独占できるかもしれない。
釜谷キャンプ場でテントを立てる
まずはテントを立てよう。
ロープを張る位置に木の棒を立て、目印にする。
流木がふんだんにあるので、大きめの物を拾ってきて支柱にする。
ビニールひもを渡し、テントを張る。
ロープはそれぞれ棒に巻き付けてあり、その棒を石で押さえてある。
こうすると、かなり頑丈にテントを張ることができる。
強い風でもテントが飛ばされることはない。
ビニールひもには、タオルなどをかけておくことができるのでとても便利。
テントの4隅には、石を結び付けてある。
釜谷集落の散策
支度が終わり、時間があるので釜谷の集落を散策することに。
集落の上に神社があるので、行ってみることに。
キャンプ場の方を望む。
これはヒヨドリだろうか。
かもめ食堂で昼食を取りたかったのだが、時間が早いからか空いていなかった。
キャンプ場に戻り、自炊することに。
釜谷キャンプ場で昼食
キャンプ場に帰ってきた。
夕食の仕込みとして、ナルゲンボトルで乾燥シイタケをもどしておく。
ナルゲンボトルは、水を汲んだり、料理に使ったりと非常に便利。
アウトドアでは常に持っておきたい。
昼飯に中華粥を作る。
尾西食品のアルファ米シリーズの梅がゆに入っている米と、乾燥キクラゲなどをクッカーに入れ、水を入れて火にかける。
味を見ながら、塩コショウと中華スープの素で味付けをする。
完成したら、梅がゆに付いていた梅シソを振りかける。
梅シソは結構酸っぱく、どんどん食が進む。
弁天岩を散策
昼食が済み、海に向かって左手にある、弁天岩の方を散策する。
弁天岩の辺りから、テントの方を眺める。
弁天岩の左側、この場所で、4年前に50cmのヒラメを釣ったのだった。
今回は軽量化のため、釣り道具は持ってきていない。
弁天岩の周辺は、奇岩が多い。
岩の断面が地層のようになっている。
落ちている岩のかけらを触ってみると、ポロポロと崩れる。
泥岩のようである。
中には、磁鉄鉱のようなものが含まれている欠片もあった。
このような岩がどのような成り立ちなのか興味がある。
テントに戻ってきた。
海岸には海鳥が群れている。
前回のキャンプでは、夜中に海鳥がひっきりなしに鳴き続けていた。
まるで赤子の声のように聞こえ、気になって眠れなかったものだった。
夕飯の準備
時間は15:30ごろ、早めに夕食の支度にとりかかる。
またアルファ米と中華スープだけだとさすがに飽きるので、フキをいただいてキャラブキにする。
葉を取り、茎の皮をむく。
皮をむくときは、アクで手が真っ黒になるので、手袋をしておいた方が良い。
短くちぎり、塩を入れた水で茹でる。
水の色が茶色くなった。
一度水を取り替え、さらに茹でる。
クッカーの側面がアクで黒くなっている。
茹でたら、たっぷりの水にさらしておく。
このまま1時間ぐらい水でさらした。
醤油と砂糖を入れ、火にかける。
味を見ながら、醤油と砂糖を足して濃い目の味付けにする。
汁を煮詰めたら完成だ。
次はアルファ米にお湯を入れておく。
今日はえびピラフ。
キャラブキをシェラカップに移し替え、クッカーで中華スープを作る。
限られた道具で料理をするので、手順がとても大事である。
水で戻したしいたけと、乾燥材料をテキトウに入れ、火にかける。
味を見ながら、塩コショウとスープの素で味を付ける。
毎回中華スープだったので飽きてきた。
今度は固形ブイヨンやダシの素なども用意して、和洋中のスープを作れるようにしておこう。
スープにとろみをつけるため、ナルゲンボトルに水と片栗粉を入れて振り、水溶き片栗粉を作る。
ナルゲンボトルはこのような使い方もできるので、とても便利である。
スープに入れて沸かす。
これで夕食の完成。
キャラブキの味が濃く、ごはんがすすむ。
とても美味い。
釜谷キャンプ場の夕暮れ
そろそろ日が暮れる。
前回釜谷キャンプ場に二泊したときは、ずっと曇っていたので、夕日も星も見えなかった。
背後の山間から、月が覗いていた。
月のウサギだかカニだかも、よく見えている。
これだけ月が丸く見えていると、今夜は月明かりで、あまり星が見えないかもしれない。
ゴールデンアワーだ。
夕日が辺りを金色に照らす。
どんな写真を撮っても絵になる時間帯だ。
カメラのレンズに、サンセットバイオレットのフィルターを付けて撮影してみた。
日本海に夕日が沈む。
粟島の中でも、海に日が沈むのを見れるのは、釜谷など島の西側だけである。
島の東にある内浦では、本土の方から日が昇り、背後の山に日が沈んでゆく。
こういった景色を見るたびに思うことがある。
哲学の考え方の一つに、現象は人間が観測するから存在するのだ、という考え方がある。
よく引き合いに出される例が、森の中で木が倒れたとき、音は発生しているのだろうかということだ。
だれも観測していなければ、音は発生したと言えないのではないだろうか。
この考えの真偽について私は論じることができないが、釜谷で夕日を見ていると、どうしてもこの議論に思いを巡らしてしまう。
あまりにもきれいな夕日。この夕日が沈むという現象は、毎日繰り返されているはずである。
ところが、釜谷キャンプ場に誰もいなければ(近くの釜谷集落からも夕日が見えるのは置いておくとして)、この夕日は誰にも観測されないまま、地平線に沈んでいくのである。
このとき夕日が沈むという現象は存在するのだろうか、というのも気になるところだが、私がもっと気になるのは、この美しい夕日が誰にも見られずに沈んでいくのは何とももったいないことだ、ということである。
日没
日が完全に沈んでしまう。
日が沈むと、あっという間に暗くなり、冷たい風が吹き始める。
テントに入って寝っ転がり、辺りの景色を眺める。
星が見えている。
夜の帳が降りる。