カヤックフィッシングについて
カヤックフィッシングとは、その名の通り、カヤックに乗って釣りをすることです。
カヤックに乗ることで、陸からは届かない場所で釣りをすることができます。
他の釣り人がいない所で、伸び伸びと釣りができます。
沖の岩礁でも潮目でも、狙いたいポイントを文字通り自由に、好きな釣り方で狙うことができます。
沖に浮かぶ岩礁の数々。
カヤックフィッシングでは、こういった場所を自由に狙えます。
少し沖に出るだけで、陸ではあまり釣れないような魚種・大きな魚が簡単に釣れます。
結構な頻度でナブラを独り占めすることもできます。
そんな楽しいカヤックフィッシングですが、沖に出るということは、常に危険と隣り合わせということでもあります。
一歩間違えれば命に関わるので、準備を怠らず、海の上では安全に気を付けなければいけません。
また、カヤックは大きく重いので、保管と運搬も大変です。
充分な広さの保管スペースと、運搬手段がなければカヤックを購入することができません。
運ぶのに体力も必要です。
カヤック本体や装備品の購入などで、結構お金もかかります。
とても楽しく釣りができますが、大変なことや危険なことも多いのがカヤックフィッシングです。
私とカヤックフィッシング
私とカヤックフィッシングとの関わりについて書こうと思います。
私がカヤックフィッシングを始めたのは、自由に釣りがしたいという動機からでした。
仕事の関係で休日にしか釣りにいけないものの、休日ともなれば、有名な釣り場は釣り人であふれています。
そのような場所で釣りをするには、朝の早い時間から並ばなければいけません。
せっかく並んだとしても隣の人との間隔が近く、オマツリ(糸が絡むこと)してしまったりと、のびのび釣りができません。
人がいない所を探しても、大体の場所には人が入っており、自分だけの釣り場を見つけるにも限界がありました。
何とか人がいない環境で釣りができないかと模索していたところ、本屋で見つけたのがカヤックフィッシング教書2という本でした。
何気なく手に取ったのですが、中身を見て”これだ”と思い、すぐに買って読みふけりました。
それがカヤックフィッシングとの出会いでした。
ただ、そこからすぐにカヤックフィッシングを始めた訳ではありません。
自分のカヤックを持つというところからして、実行に対する現実感がありませんでした。
本で読んだだけではまだ、カヤックフィッシングは雲の上の存在という感じです。
それ以降も、カヤックフィッシングについてずっと気になっていました。
様々な本などで読むうち、徐々に自分でもやってみたいという気持ちが抑えられなくなってきました。
同時に、何となく始められそうだという算段が自分の中で立ち始めました。
そして、カヤックフィッシングを始めたくて仕方なくなってしまったので、まず入念に下調べを行いました。
カヤックフィッシングの参考図書のページで紹介したような、カヤックの本を読み漁りました。
ネットでも、カヤックに関するサイトやブログを片っ端から見て調べました。
今にして思えば、体験をしたり実際に乗っている人に話を聞きに行ったりした方が良かったのでしょう。
元来人付き合いが好きではないため、一から自力で始めるつもりで知識を集めました。
この点に関しては、今思えば無謀だったと思います。
ただ、急ぐわけでもなし、ゆっくり少しずつできるようになろうという気持ちで始めました。
カヤックを始めようと思い立ってから、モンベルに行ってカヤックの現物を見たりしました。
最初に見た時は、何といってもその大きさに圧倒されたことを覚えています。
カヤックを始める前に、必ず実物を見ておくことをお勧めします。
そうして、カヤックを購入することから実際に釣りに行くまでのシミュレーションができました。
自分でもできそうだという実感が出てきたので、思い切ってカヤックフィッシングを始めることにしました。
カヤックの置き場について家族の反対にあったりしましたが、最終的に押し切った形でカヤックを購入しました。
カヤックの置き場所については、カヤックを手に入れる前の準備のページに書いています。
実際にカヤックを手に入れてから、カヤックフィッシングを始めるのも大変でした。
カヤックは20kg以上あるので、まず海岸までの運搬が大変です。
いざカヤックに乗って海に出ても、最初は中々魚が釣れませんでした。
沖に出て大変な思いをし、二度とカヤックには乗らないと誓いながら帰路に就くこともしばしばでした。
それでも、数日経つとまた乗りたいと思ってしまうほどの魅力がカヤックフィッシングにはありました。
こうしてカヤックフィッシングを始めてから3年ほど経ちましたが、今では色々な魚を釣ることができるようになりました。
前項に書いた通り、カヤックフィッシングには大変なこともたくさんあります。
それでもずっと続けてこられたのは、やはり困難を上回る楽しさがあったからなのだと思います。