釧路市街での休息と、旅の「洗濯」
サルルン展望台から駐車場へ戻り、いよいよ待ちに待った釧路市街へと向かう。
午前中から湿原の木道や展望台の山道を歩きっぱなしで、足の筋肉も体力もすっかり限界に達していた。
今日観光として回ったのは展望台の2箇所だけだが、これで十分だ。ここからは完全な「休息モード」に切り替える。
市街地へ入ったら、コインランドリーで溜まった服を洗い、ガソリンスタンドで車をきれいにしなければならない。
そして何はともあれ、まずは大きなお風呂に入って汗を流したかった。サルルン展望台への山道でかいた汗が冷えて、気持ち悪くて仕方がない。
釧路市街にある昔ながらの銭湯「さくら湯」へ直行した。

非常に良いお湯だった。観光客向けの温泉施設ではなく、地元の人々が通う「広めの町の銭湯」といった風情で、とてもリラックスできた。
いつものように、ひたすら露天風呂に長湯して凝り固まった筋肉をほぐす。
さっぱりした後は、コインランドリーへ。
ここ数日、コインランドリーに行くタイミングを逃していたため、車中泊の狭い車内に洗濯物がどっさりと溜まり込んでいる。
お昼時のためか、どこのコインランドリーも地元の人で混雑していた。いくつか回ってようやく空いている洗濯機を見つけ、衣類をまとめて放り込んだ。
洗濯機と乾燥機が回っている待ち時間を利用して、ガソリンスタンドへ向かう。
午前中に通った道道1060号(クチョロ原野塘路線)の凄まじいダート走行のせいで、車体全体が細かい砂ぼこりに覆われ、見るも無惨な泥だらけになっていたのだ。

少々の汚れは気にしないタチなのだが、さすがに今回は放置しておけないレベルの汚れ具合だった。
スタンドの洗車機でボディの泥をすっきりと落とし、ガソリンも満タンに補給した。
これで人間も車も、衣類もすべてピカピカにリセット完了だ。
フィッシャーマンズワーフMOOと釧路川の軌跡
今日やらなければならなかった「生活の用事」を一通り終え、身軽な気分で観光名所の「釧路フィッシャーマンズワーフMOO(ムー)」へと足を運んだ。

ここは海鮮市場やお土産物屋、飲食店が一堂に集まる巨大な複合商業施設だ。

施設の端のエリアには、緑豊かな全天候型の温室(EGG)が併設されている。



温室を通り抜けて、そのまま建物の外(海側)へ出てみた。

フィッシャーマンズワーフのすぐ隣を、幅の広い立派な川がとうとうと流れている。


ここで思い返してみれば、昨日から今日にかけて、私は何度もこの「釧路川」の流れを目にしてきたことになる。
釧路川の姿を最初に見たのは、昨日の午前中。弟子屈の「道の駅 摩周温泉」のすぐ近くにある水郷公園で、清流に架かるなんだろう橋を渡った時だった。


そして今日、未舗装の道道1060号を砂ぼこりを上げて走り、サルボ展望台へ向かっている最中に、湿原の中を蛇行する中流域の姿を見た。
大自然のど真ん中を、釧路川は悠然と流れていた。
さらに言えば、実は昨日、釧路川の「最も源流に近い場所」も通っていたのだ。
釧路川は、巨大なカルデラ湖である「屈斜路湖」から流れ出ている。その湖からの流れ出しのポイントこそが、釧路川の源流域にあたる。
昨日、車で屈斜路湖畔の砂湯から美幌峠へ向かって登っていく途中、まさにその源流付近の道路を通過していたのだ。

全く意図したわけではないが、結果的に「釧路川の源流・上流・中流・下流(河口)」を、この二日間で順番にすべて見てきたことになる。
自分の走ってきた軌跡が、一本の大河の旅と重なり合うようで、なんとも言えないロマンを感じる。


十一日目の回想と夕食のハンバーグ
フィッシャーマンズワーフでの散策を終え、市街地のレストランで少し早めの夕食をとることにした。

せっかく海鮮市場のMOOにいたのだからそこで地の物を食べる手もあったのだが、今日はなぜか無性に「肉肉しいハンバーグ」が食べたくなってしまったのだ。

焼き立てのハンバーグの上に、甘酸っぱいパイナップルが乗っている。この組み合わせを最初に考えた人は天才だと思う。
脂の多い肉類に、フルーツを合わせるのは理にかなっている。果物の爽やかな酸味が肉の脂のくどさを打ち消し、いくらでも食べられそうな気がする。
食後のコーヒーをゆっくりと楽しむ。

温かいコーヒーを胃に流し込みつつ、今日一日の行程を頭の中で整理する。
今日は総走行距離が短く、訪れた観光スポットも少ない「休息」を主眼に置いた一日だった。
朝一番に訪れた釧路市湿原展望台。

サテライト展望台から見渡した湿原の圧倒的な雄大さは、「北海道らしさの極致」と呼ぶにふさわしい、言葉を失うほどの風情があった。
そして、土埃を上げて走った道道1060号線と、サルボ・サルルン展望台。


大小の沼が点在する複雑な水郷の風景と、空を舞う野鳥の姿が目に焼き付いている。
その後は釧路市街へ入り、銭湯、洗濯、洗車と、旅を続けるための身の回りのメンテナンスをしっかりと済ませた。


体も車もリフレッシュでき、非常に充実した中休みの日となった。
明日のルートと、旅の終盤の寂寥感
夕食後、今日の宿泊予定地である駐車場に到着した。
車内のベッドに寝転がり、ガイドブックとWi-Fiに繋いだスマホを交互に見ながら、明日のルートをじっくりと練る。
明日の最大の目的地は、日高山脈の南端にあたる「襟裳(えりも)岬」だ。
ここ釧路から太平洋沿いにひたすら南下し、途中の観光地を拾いながら襟裳岬へと向かうルートである。
途中、少し内陸へ入って帯広名物の「豚丼」を食べていこうかという誘惑もあるのだが、海沿いから外れて遠回りになるため、どうするかは明日の腹の空き具合と時間次第で決めよう。
襟裳岬の絶景を見届けたら、そのまま太平洋の海岸線に沿って西へ進路を取る。
馬の産地である浦河町を越えて、三石の道の駅あたりまで一気に行ければ最高なのだが、釧路からだとかなりの移動距離になる。無理は禁物だ。どこまで進めるかは、明日の自分の気分と体力に任せることにしよう。
地図を広げて北海道全体のルートを確認してみると、私がこの北の大地にいられるのも、残りあと5日か6日ほどとなりそうだ。
北海道の土を踏んでから今日で11日。新潟港から日本海フェリーに乗り込んで出発した日を含めれば、丸12日が経過している。

感覚的には、「もう12日も経ったのか」という実感もあるし、逆に「まだたったの12日しか経っていないのか」という不思議な気もする。旅の時間は濃密で、日常の時計とは進み方が違う。
もっと一日ごとの移動距離を抑えてローペースで周り、一つの観光地にじっくりと時間をかけられれば理想的なのだが、「次はどうなっているんだろう」とどんどん先の景色が見たくなってしまう性分なのだから、こればかりは仕方がない。
全行程の距離から計算しても、この北海道一周の旅はすでに3分の2以上を消化している。
旅もここまで終盤に差し掛かってくると、「早く自宅の布団に帰ってのんびりしたい」というホームシックのような気持ちが、日に日に大きくなってくるのを感じる。
実は今日、私が楽しみにしていた『エルデンリング』という大作ゲームのDLC(追加コンテンツ)の発売日なのだ。
ネットを開けばその情報があふれており、「早く家に帰ってプレイしたい」というオタク特有の渇望が、帰巣本能に拍車をかけている。
だが、北海道の広大な土地には、私がまだ見ていない、訪れるべき絶景がまだまだ山のように残されている。
自分の車で北海道を自由に走り回れる機会など、人生でそう何度も巡ってくるものではない。焦る気持ちを抑え、残りの日々はできるだけ急がず、この特別な時間をゆっくりと噛み締めながら走ることにしよう。
眠れない夜を救う『根源へ』
北海道に来てからというもの、運転中や車中泊の夜など、一日の大半の時間を「完全に一人」で過ごしている。
一人で静かな夜を迎えると、無意識のうちに昔の出来事ばかりが脳裏にフラッシュバックしてくる。
思い出すのが誇らしい記憶や楽しい思い出ばかりなら良いのだが、人間の脳というのはなぜか、失敗したことや恥をかいたことばかりを鮮明に引っ張り出してくるから始末が悪い。
若く未熟だった頃の自分の言動を思い出しては、「なぜあんなことを言ってしまったのか」と恥ずかしくなってくるのだ。
「過去の自分を恥ずかしいと思えるのは、今の自分がそれだけ成長した証拠だ」とポジティブに解釈することもできるのだが、それでも胸がざわつく。
毎日仕事に追われていた日常の中では、忙しさが一種の麻酔になっていたのか、こんな風に静かに過去と向き合い、昔のことを思い悩むような時間はほとんど無かったように思う。これが「旅の効能」というやつだろうか。
色々な思考が頭の中を巡り、目が冴えてしまってどうしても眠れない。
こんな孤独な夜、私をいつも助けてくれるのは「本」の存在だ。
今回の北海道旅行にも持ち込んでいた、一番のお気に入りの一冊、『根源へ』を取り出す。

かつて仕事で行き詰まり、精神的にすり減っていた時期に、私は何度もこの本に救われてきた。
不思議なことに、心が困窮している時にこの本のページをめくると、必ずどこかの文章が今の自分の悩みにピンポイントでヒットし、明確な答えを提示してくれるのだ。
今夜も例外ではなかった。まさに今の感情そのものである「罪と恥」について書かれた項目があり、それが荒ぶる心に対する特効薬となって、スッと気持ちを落ち着かせてくれた。
この『根源へ』を初めて読んだ時の衝撃は今でも忘れられない。
「これは本物の思想が書かれた本だ」というのが、読後の率直で鮮烈な感想だった。それまで私が読んできた数々の自己啓発本やビジネス書とは、書かれていることの次元や深さが全く違っており、筆者の魂の叫びに強く共感したのだ。
しかし、著者の執行草舟(しぎょう そうしゅう)という名前は聞いたこともなく、ネットで書評を調べてみると、賛否両論で評価が大きく分かれていた。
その「他人の評価」に少し引きずられ、一度は古本屋に売って手放してしまったことがある。だが、本に書かれていた強烈なメッセージが心の奥底にずっと刺さったまま消えず、どうしても読み返したくなって、結局新品を買い直したという経緯がある。
その経験から私は一つの真理を学んだ。
「物事の善し悪しを判断する上で最も大切なことは、世間や他人がどう評価しているかではなく、”自分自身がそれをどう感じるか”なのだ」と。
本から真の気づきや影響を受け取れるかどうかは、読んだ本人がその言葉にどれだけ魂レベルで共感できるかどうかにかかっているからだ。
その一件以来、私はこの『根源へ』を含め、著者の執行草舟さんの著作はすべて買い集め、人生の羅針盤として繰り返し読み続けている。
この本に、もっと若い頃、できれば価値観が形成される大学生の頃に出会いたかったと心底思う。
情報が溢れ、他人の評価ばかりを気にしてしまう現代の若い人たちにこそ(私自身もまだ若輩者ではあるが)、ぜひ一度手に取って、自分自身の魂と向き合ってほしいと強く薦めたい一冊だ。