道の駅めまんべつと絶品ハスカップパフェ
北見ハッカ記念館を出発し、国道39号をさらに北へと進む。
北見の市街地を走っている間は、周囲の車は地元である北見ナンバーばかりだった。たまに釧路や帯広、札幌ナンバーの車を見かける程度だ。
私のような本州からの道外ナンバーの車は全く見かけず、旅行者としてのちょっとした疎外感を味わう。
そのまま道なりに進み、女満別空港の横を通り過ぎる。
ちなみに女満別は「めまんべつ」と読む。北海道の地名は本当に難読なものが多い。
「道の駅 メルヘンの丘めまんべつ」に到着した。

駐車場にはかなりの台数の車が停まっていたが、ここでもやはり道外ナンバーの車はほとんど見かけなかった。
館内で少しの土産物を買い、売店でハスカップパフェを注文した。

北海道に来たら、特産であるハスカップを一度は食べてみたかったのだ。
ラズベリーのようなベリー系の果実だが、想像していたよりも酸味が強い。だが、その酸っぱさがソフトクリームの甘さと絶妙にマッチして、たまらなく美味い。
道の駅の裏手にはローズガーデンが併設されていた。

時期的に少し早かったのか、花が咲き誇る見頃はもう少し先のようだった。



絵画のような風景、メルヘンの丘
休憩を終え、ここから歩いてすぐの場所にある「メルヘンの丘」へと向かう。

ここが、写真撮影スポットとして有名なメルヘンの丘だ。

緑の畑が広がるなだらかな稜線の先に、数本の木が並んで立っている。シンプルだが、まるで絵本の世界のような美しい風景だ。
メルヘンの丘のすぐ近くの路肩には、車が何台も停められる広い駐車スペースもしっかりと整備されていた。

遠くに見える木々のシルエットも良いが、手前に広がる広大な畑の畝(うね)も、風景に良い味を出している。

ここには一体何の作物が植えられているのだろうか。
地図で確認すると、見学ポイントから見てメルヘンの丘は西の方角にある。
ということは、夕方になればあの丘の向こうに真っ赤な夕日が沈む構図になるはずだ。さぞかし美しいことだろう。夕暮れ時の景色もぜひ見てみたいものだ。


美しい景色に後ろ髪を引かれつつ、道の駅に停めた車へと戻った。
いざ「博物館 網走監獄」へ
メルヘンの丘を出発し、さらに北へと車を走らせる。
道中、左手に穏やかな網走湖の水面を見ながらのドライブだ。

網走の市街地に入る手前で右折し、山の中腹へと登っていくと、本日のメインイベントである「博物館 網走監獄」に到着した。
今日は平日だというのに、広大な駐車場には観光客の車がたくさん停まっていた。
ここに来るまでの道中では、道外ナンバーの車など全く見かけなかったのが嘘のように、ここの駐車場は全国各地のナンバープレートだらけだ。さすがは北海道を代表する観光地である。

入り口に架かる「鏡橋」を渡り、敷地内へと足を踏み入れる。

網走監獄といえば、私が愛読している漫画『ゴールデンカムイ』の作中で、非常に重要な舞台として登場する場所だ。
あの放射状に広がる巨大な舎房など、見どころが満載であり、今回の北海道一周旅行において「絶対に訪れたい」と熱望していた場所の一つである。
ゴールデンカムイを読んだことがある人なら、ここの見学はテンションが上がること間違いなしだ。まだ読んだことがない人は、ぜひ旅行の予習に読んでみてほしい。


現在は野外博物館として移築・保存されているため、当然ながらここに本物の囚人はいない。
なお、現在も使われている「網走刑務所」の施設自体は現存しており、この博物館から少し北へ行った別の場所にあるそうだ。
この博物館では、旧網走刑務所で実際に使われていた歴史的建造物を間近で見学することができる。国から重要文化財として指定されている貴重な建物も数多く点在している。

受付で入場料を支払い、いざ内部へ。
リアルな展示と中央道路開削の歴史
「監獄」という言葉から、薄暗くて重苦しい雰囲気の場所を想像して身構えていた。
しかし案に相違して、敷地内は手入れの行き届いた花壇が美しく、広々として明るく開放的な公園のような雰囲気だった。

建物の前で作業をしている人影が見え、ギョッとしたが、よく見るとそれはリアルに作られた蝋人形だった。

受付でもらったパンフレットの地図を見ると、敷地は広大で見どころが非常に多い。
これら全てをゆっくりと見て回ったら、優に半日はかかってしまいそうだ。
地図と現在地をにらめっこしながら、順路に従って一つ一つの建物を巡る。
まずは国指定重要文化財である「庁舎」から見学する。

庁舎の中では、この網走監獄の建物の構造や、北海道開拓における歴史的な背景についてのパネル展示が行われている。

展示内容が非常に濃く、じっくりと文字を読んでいると、この最初の建物だけでもかなりの時間が溶けていく。

敷地内には清らかな小川が流れ、やはりここが監獄跡地とは思えないほどのどかな光景だ。
北海道のあちこちで見かけた、塔のように咲くルピナスの花も咲き乱れていた。

続いて、看守たちが家族と暮らしていた「職員官舎」へ。

博物館内の至る所に、当時の服装をしたリアルな人形が配置されているため、建物が実際に使われていた頃の息遣いや生活感がひしひしと伝わってくる。


網走の代表的な民芸品である「ニポポ人形」。

これは現在でも、網走刑務所の受刑者たちが刑務作業の一つとして一つ一つ手彫りで作成しているそうだ。記念として、後でミュージアムショップで一つ購入した。
こちらは「釧路地方裁判所 網走支部」の復元展示。

建物の中では、単独法廷、合議室、合議法廷など、実際の裁判が行われていた空間をそのまま見学できる。
この裁判所の建物内だけでも展示のボリュームが凄まじく、隅々まで見て回るにはかなりの時間を要する。

法廷内に置かれている机や椅子などの備品は、この建物が実際に裁判所として使用されていた当時の本物がそのまま使われているそうだ。

裁判所を出て、次は「休泊所」へ向かう。

ここは、過酷な労働を強いられた囚人たちの「移動式の仮眠所」だ。
刑務所の敷地内にあったのではなく、日帰りができないほど遠方の原野や道路の開削作業に向かった際に、囚人たち自身が丸太を組んで建てた簡易的な小屋である。
寝床となる小屋の設営すら、疲労困憊の作業後に自分たちで確保しなければならなかったのだ。

敷地内には、農場施設である耕転庫や漬物庫も保存されている。

囚人たちがどのように農作業に従事し、自給自足の食料を確保していたかを知ることができる。

網走監獄の囚人たちの血と汗によって、北海道の広大な面積の原野が開墾されていった歴史がある。
続いて「監獄歴史館」を見学した。
この館内は、映像展示など一部が撮影禁止になっていたため、あえて写真を撮らなかった。
ここでは、網走監獄の成り立ちや、囚人たちにまつわる重い歴史について深く学ぶことができる。
中でも特に私の印象に残ったのは、「中央道路開削」の悲惨な歴史だ。
明治時代中期の1891年、網走から北見峠を越えて旭川へと至る約160kmの過酷な道のりを、囚人たちを労働力として切り拓かせたという記録である。
自動車やブルドーザーが日本で普及し始めたのは戦後のことだ。
1891年当時に大型重機などあるはずもなく、巨木を切り倒し、岩を砕く作業のすべてを、ツルハシを持った人力だけでやらなければならなかったのだ。
ロシアの脅威に対抗するため、国策として北海道の開拓と道路網の整備を急がねばならなかった時代背景がある。
昼夜を問わぬ突貫工事。ヒグマや害虫の襲撃、劣悪な食事、そして寒さ。わずか8ヶ月という異常な短期間での開削工事の代償として、疲労や栄養失調で倒れる囚人が続出し、200名を超える多数の犠牲者を出したという。
今よりもずっと人権という概念が薄かった時代だからこそ起きた、強引な国策の犠牲だった。
展示の文章を読むだけでは、130年以上前の出来事はなかなか想像しにくい。
しかし、当時実際に使われていた「鉄の足かせ(逃亡を防ぐため、作業中も足に繋がれていた重り)」などの実物が展示されており、その凄惨さの一端がリアルに垣間見えた。
いくら罪を犯した囚人とはいえ、あまりにもむごい話である。今の私たちが走っている快適な北海道の道路の一部は、彼らの犠牲の上に成り立っているのだ。
ちなみに、この囚人たちが切り拓いた「中央道路」は、現在私が走ってきた国道333号や国道39号の完全な前身というわけではないらしい。
北見市の資料ページなどを確認してみると、
現在の国道や道道のルートと完全に一致しているわけではなく、あちこちの道路を少しずつなぞりながら旭川へと続くような形の旧道だったようだ。
開放的な二見ケ岡刑務支所と美しい放射状舎房
重い歴史を受け止めつつ、次は博物館の敷地の奥にある「二見ケ岡(ふたみがおか)刑務支所」へと向かった。

二見ケ岡刑務支所は、旧網走刑務所の支所として、農作業の先導的施設(自給自足の要)として作られたそうだ。
厳重な警備の旧網走刑務所本体に比べると、鉄格子なども少なく、比較的開放的な造りになっている。今で言うところの「模範囚」たちがここへ移され、農作業を通じて社会復帰に向けた訓練に取り組んでいたという。


古い木造の廊下を歩いていると、監獄というよりは、昔の木造校舎の小学校を思い出して少し懐かしい気持ちになる。

ここだけで一つの刑務支所として機能していたため、食堂や炊事場(炊場)など、生活に必要な設備が一通り揃ったまま保存されている。


階段を登って2階へ上がってみる。
ここは何かの作業部屋だろうか。

就寝するための居房(牢屋)の区画もある。

そして、受刑者に精神的な講話や宗教的な教えを説くための「教誨堂(きょうかいどう)」も備わっていた。

二見ケ岡刑務支所を出て、順路に従って真っ直ぐ進む。
すると、木立の向こうに、ひときわ大きく特徴的な木造建築物が見えてきた。


ここが網走監獄の代名詞とも言える、有名な「五翼放射状平屋舎房(ごよくほうしゃじょうひらやしゃぼう)」だ。
中央に八角形の見張り所(哨舎)があり、そこを起点として、5本の細長い舎房が手の指のように放射状に伸びている。


このパノプティコン(全展望監視システム)のような合理的な構造により、少数の看守が中央に立つだけで、全ての監房の廊下を一度に見渡して監視できるようになっているのだ。
放射状に伸びる5本の腕(廊下)は、すべて奥まで歩いて見学することができる。

天窓からの光の入り方が絶妙で、どこを切り取っても非常に画になる。


いくつかの房は扉が開いており、内部の構造を直接覗き込めるようになっている。
独居房や雑居房など、房によって中の造りもそれぞれ異なっているようだ。



シンと静まり返った、静謐な空間だ。
ここが数多くの罪人たちを収容していた血塗られた監獄跡だと知らなければ、何かのモダンな芸術作品か宗教建築だと思ってしまいそうなほど、均整の取れた美しい木造建築である。

舎房をじっくりと見終え、再び順路に従って進む。
最初に入場して見学した水色の「庁舎」の裏手(背中)が見えてきた。

こちらは受刑者たちの「浴場」。

厳しい監視の目が光る中、限られた短い時間でのみ許された入浴は、囚人たちにとって数少ない娯楽であり至福の時間だったことだろう。

独立して建てられた「独居房」。

規則違反を犯した者が入れられる、窓のない真っ暗な懲罰用の房だ。

そして、正門近くにある「教誨堂」。


広大な敷地をぐるりと一周し、ようやく出口まで戻ってきた。


事前情報に違わぬ、いやそれ以上に非常に充実した、見応えのある展示内容だった。
併設されている物産館で、お土産を選びながら店員のおばちゃんと少し長めの世間話をした。
一人で黙々と車を走らせていたので、こうして現地の人とちゃんとした会話を交わしたのは、あの風の強い宗谷岬以来かもしれない。
手作りのニポポ人形など、網走ならではの土産物をいくつか買い込み、深い満足感とともに博物館 網走監獄を後にした。

