日本屈指の強風地帯!襟裳岬と風の館
荒れ狂う百人浜を出発し、ついに本日の大一番である「襟裳(えりも)岬」へと到着した。
襟裳岬の突端エリアには、お土産などを売っている観光施設のほか、襟裳の自然や風について学べる「風の館」、そして岬の最先端の岩礁帯を見渡せる展望台が整備されている。

土産物屋を覗いてみると、馬と昆布で有名な日高地方が近いこともあり、やはり名物の日高昆布が山積みになって売られていた。
それにしても、ここは尋常ではないほど風が強い。真っ直ぐ歩くのすら困難なほどだ。
風の館の公式サイトによると、「襟裳岬は風速10メートル以上の強風が吹く日が年間260日以上もある、日本屈指の強風地帯」なのだそうだ。一年中ほとんど暴風域にいるようなものである。
この猛烈な風が吹き荒れる中、いきなり岬の先端まで行くのは危険と判断し、まずは屋内施設である「風の館」へ避難するように入館した。

カルマン渦とナビエ・ストークス方程式
館内に入って説明書きを読んで驚いたのだが、この「風の館」というユニークな円形の建物自体が、流体力学における「カルマン渦」という現象の形をイメージして設計されているらしい。

カルマン渦とは、川の水の流れや空気の流れの中に円柱などの障害物を置いた時、その後方に規則的に発生する互い違いの渦の列のことだ。(Wikipediaのページに分かりやすい動画があるので興味があれば見てほしい)。
空気の抵抗や流れを扱う「流体力学」の分野で必ず登場する基本中の基本の現象である。
実は私、学生時代にこの流体力学やカルマン渦について真面目に勉強していた時期があり、思わぬ場所での再会にひどく懐かしい気持ちになりながら建物の構造を見学した。

完全に物理の余談になるが、流体力学において気体や液体の流れを記述する最も重要な方程式に、「ナビエ・ストークス方程式」という数式がある。
この方程式を完璧に解くことができれば、天気予報から飛行機の空気抵抗まで、あらゆる流れの動きを正確に予測できるようになるのだが、複雑すぎて現代の数学でも一般解が証明されていないのだ。
その難解さゆえに、この方程式は数学界の「ミレニアム懸賞問題(七つの未解決問題)」の一つに選ばれており、解を証明できた者には100万ドルの賞金が与えられることになっている。我こそはという方は、ぜひ挑戦してみてはいかがだろうか。
ナビエ・ストークス方程式の実物は、Wikipediaのページで見ることができる。

受付で入場券を支払うと、「今ちょうど『えりも風体験』が始まりますよ」と案内された。
体験ルームへ移動する。

正面の丸い穴から、強風……というより台風並みの暴風が吹き付けてくる。風の吹き出し口に近づけば近づくほど、体が吹き飛ばされそうな風圧を全身で体感できるアトラクションだ。
風体験を終え、館内の展示コーナーを見て回る。
襟裳岬の岩礁帯に生息している野生の「ゼニガタアザラシ」についての詳しい生態展示があった。

ゼニガタアザラシは、体に五円玉のような丸い銭(ゼニ)の形の模様があることからその名が付けられたそうだ。運が良ければ、今日この岬からその姿を見ることができるかもしれない。

ここは屋内から海を眺められるガラス張りの展望スペースだ。

窓際には高性能な望遠鏡が何台も設置されており、ここから岩場にくつろぐゼニガタアザラシを観察できることもあるらしい。
私は自前の双眼鏡とカメラ用の300mm望遠レンズを持参していたので、後で岬の先端まで行き、直接自分の目でアザラシの姿を探してみることにする。
建物の奥のドアから、直接岬の先端へと続く遊歩道に出られるようになっている。



さあ、暴風が吹き荒れる襟裳岬の先端を目指して歩き出そう。アザラシは見られるだろうか。
エゾカンゾウと、地の果て・襟裳岬の先端
建物の外に出ると、案の定、容赦ない海風が全身を叩きつけてきた。

この凄まじい強風の中を、遮るもののないあの細い先端まで歩いていくのは、正直なところ恐怖すら感じる。


ここから見えるだけでも、十分に恐ろしくも美しい、大迫力の光景だ。

遊歩道の脇に、鮮やかなオレンジ色の可憐な花が咲いているのを発見した。

これは「エゾカンゾウ」だ。この花の名前を調べていた時、エゾカンゾウ・ニッコウキスゲ・エゾキスゲなど、似たような名前がたくさん出てきて混乱したものだ。
国土交通省のページによれば、微妙な違いはあるものの「エゾカンゾウ」と本州の「ニッコウキスゲ」は植物学的に同じ種であるらしい。
しかし、北海道のページを見ると、「エゾカンゾウ」と「エゾキスゲ」は明確に違う花として扱われている。
つまり、【エゾカンゾウ=ニッコウキスゲ】であり、【エゾカンゾウ≠エゾキスゲ】ということだ。ややこしい。
生態にも違いがあり、エゾカンゾウがオレンジ色で日中に咲くのに対し、エゾキスゲは黄色い花で、夕方から翌日の昼頃にかけて開花するのだそうだ。
エゾカンゾウは、道北の神威岬や遠別町の金浦原生花園などでも何度も目にしてきた、北海道の初夏を代表する花だ。

強風に耐えながら、さらに奥へ進む。振り返ると、先ほどまでいた「風の館」の半地下になったガラス張りの展望窓が見える。




そしてついに、遊歩道の終点である「襟裳岬の先端」にたどり着いた。

ものすごい風と波の音だ。
この荒れ狂う太平洋と、海へと沈み込んでいく岩礁群の連なりは、私が北海道一周の中で見た海景の中でも、間違いなく一番ダイナミックで荒々しい絶景だった。

あまりにも風が強いため、波打ち際で発生した潮の泡が、まるで雪のように一方向へ長く吹き飛ばされている。



海鳥の楽園と、海に沈む日高山脈
ふと岩場に目を凝らすと、そこは無数の海鳥たちの巨大な営巣地になっていた。


海岸には流木などの木切れや海藻が大量に打ち上げられており、鳥たちはそれらをせっせと運んで巣の材料にしているのだろう。

真っ黒なウミウの群れもたくさん休んでいる。


お目当てだったゼニガタアザラシがいないかと思い、冷たい強風の中で震えながら双眼鏡で岩場を舐めるように探してみたが、残念ながら今日はその姿を見つけることはできなかった。
ところで、ここ襟裳岬はただの「北海道の南端」というだけではない。あの長大な「日高山脈」の南の終着点であり、巨大な山脈がそのまま太平洋の海中へと沈み込んでいく劇的な場所でもあるのだ。

つい数時間前、内陸の一本山展望タワーからその日高山脈の姿を見下ろしてきたばかりだ。

画像の左手(南側)へと続く、恐竜の背中のようなゴツゴツとした山脈の稜線が、今私が立っているこの襟裳岬の先端まで、一度も途切れることなく続いているのである。
そういえば、11日前の旅の序盤には、日高町にある「日高山脈博物館」を訪れていた。
あの場所は、日高山脈の「北端」にあたるエリアだ。
つまり、今日この「南端」の襟裳岬にたどり着いたことで、私は北海道一周の旅の中で、はからずも「日高山脈の北の端から南の端まで」をまるごと見届けたことになる。旅の軌跡が壮大なスケールで繋がった瞬間に、深い達成感を覚えた。
強風に煽られながら遊歩道を引き返し、駐車場へと戻る。






無事に風の館まで戻ってきた。

駐車場からも、切り立った崖と広大な海の素晴らしい景色を見ることができる。

大満足の襟裳岬を後にし、今日の最終目的地へと車を走らせる。
みついしへの試練と、長かった一日の回想
襟裳岬から進路を西へ取り、今日の寝床に定めた「道の駅 みついし」へと向かう。
海沿いを走る途中、馬の産地として有名な浦河(うらかわ)町を通過した。
その時、ふと11日前に訪れた美瑛町のメルヘンチックな風景が脳裏にフラッシュバックした。

この浦河町の市街地も美瑛のように、新しい外観をした三角屋根の家が多く建ち並んでおり、町全体の景観デザインがある程度統一されていて非常に美しかったのだ。
実は、ここ襟裳岬から道の駅 みついしまでの区間の運転が、今回の北海道一周の旅の中で「一番きつかった」時間だった。
道路自体が険しかったわけではない。朝から果てしない長距離を移動し、展望台の長い階段を登り、強風の岬を歩き回ったため、肉体的にも精神的にもエネルギーが完全に底をついており、ただひたすらに「体力的にきつかった」のだ。
今日もとんでもない距離を走ってきた。
前々日に根室から釧路まで一気に移動した時と、ほぼ同じくらいの大移動である。
午前中に釧路を出発し、恋問の海と白糠のお祭りを楽しみ、霧に包まれた昆布刈石展望台へ。



その後内陸へ入り、道の駅 なかさつないでレトロなビーンズ邸と開拓記念館を見学。


さらに過酷な階段を登って、一本山展望タワーから日高山脈を遠望した。

そして再び海沿いへ戻り、荒波の黄金道路を通って百人浜へ。


最後にたどり着いたのが、日本屈指の強風地帯、襟裳岬だった。

とにかく、疲れた。
ハンドルを握る手を休め、「道の駅 みついしまであと少しだ」と何度も自分に言い聞かせる。
暗闇の中に道の駅の看板が見えた時は、「これでようやく今日の苦しい旅が終わる……」と、心底ほっとしたものだった。

みついし昆布温泉と、旅の終わりへの寂寥感
車を停め、何はともあれ道の駅に併設されている「みついし昆布温泉 蔵三(くらぞう)」へと飛び込んだ。

ここの露天風呂は、和船の形をしたユニークな木の浴槽になっている。
お湯の色はその名の通り、海藻のダシが出たような深い「昆布色」だ。味も匂いも特にないのだが、気のせいか、かすかに海の昆布の香りが漂ってくるような気がして落ち着く。
熱いお湯から上がり、露天スペースのチェアーに深く腰掛けて、冷たい海風を全身に浴びて火照った体を冷ます。
いまさらだが、「お風呂に入ってから一度しっかり体を冷やしておけば、服を着た後にダラダラと汗をかかずに済む」という当たり前の事実に気がついた。知識としては分かっていたのだが、今まではクールダウンの時間が短すぎて、車に戻ってからいつも汗だくになっていたのだ。
しっかり体を休めた後、館内のレストランで遅めの夕食をとる。
メニューを見て「海鮮あんかけ焼きそば」を注文した。
運ばれてきたのは、巨大な大皿にイカ、エビ、タコ、ホタテ、さらにはカニの爪までが惜しげもなくゴロゴロと入った、超豪華な海鮮あんかけ焼きそばだった。
限界まで腹が減っていたにもかかわらず、あまりのボリュームに食べ終わるまでに相当な時間がかかってしまった。
温泉施設を出て、夜の駐車場へ戻る。
車内に濡れたタオルを干し、夜風を浴びながら周辺を少しだけ散歩してみる。

今日はかなり無茶なスケジュールだったが、無理をしてでも今日中にこの三石までたどり着けて本当に良かったと思う。明日の移動が格段に楽になるからだ。
そういえば、ここへ来る途中に「アポイ岳」という登山の名山のそばを通過した。
11日前の日高山脈博物館のページにも書いたが、実はこのアポイ岳特有の地質にとても興味があり、麓にあるビジターセンターに寄ってみたいと思っていたのだ。しかし時間の都合で泣く泣く通り過ぎてしまった。
こればかりは仕方がない。旅に心残りは付き物だ。

車中泊のベッドに横たわり、静かな闇の中で思う。
いよいよもう本当に、この北海道一周の旅の終わりが見えてきた。
北海道に上陸してからどうしても見たかった景色は、今日の日高山脈と襟裳岬をもって、大体すべて見終わってしまったのだ。
ふと気がつけば、私は今、北海道の南側の「太平洋沿岸」を走っている。
つい数日前までは、最北端の稚内から「オホーツク海沿岸」を走っていたというのに。自分の移動距離のバグに笑ってしまう。

長かった非日常の旅が終わってしまうのが酷く寂しい気もするし、一方で、一刻も早く家に帰って自分の布団で眠り、好きな時にコーヒーを淹れてのんびりしたいという強い願望もある。
アンビバレントな感情を抱えながら、目を閉じる。明日は、最終目的地の函館に向けてどこまで走れるだろうか。