恐山菩提寺の宿坊に宿泊
恐山菩提寺に到着
2日に渡って車を走らせ、ようやく恐山菩提寺に到着しました。
急に現れた宇曽利山湖と、ようやくたどり着いたという感慨に言葉も出ません。
道なりに進んで駐車場に着きました。
駐車場はものすごく広いです。
駐車場から宇曽利山湖方面を見る。
駐車場から総門に向かって右手の方向に土産物屋・お食事処・お手洗いがあります。
ちょうど昼時だったので、お食事処で山菜うどんを食べました。
本当はそばを食べたかったのですが、注文時に間違えてうどんを頼んでしまいました。
深層心理ではうどんが食べたかったのかもしれません。
山菜と天かすがたくさん乗った美味しいうどんでした。
総門前で受付を済ませます。
宿坊を予約していることを告げ、入場料500円を払い、入場券やパンフレットを受け取って門内に入りました。
この日は台風が接近しており、危険なので宇曽利山湖の方へは行かないようにと言われました。
宇曽利山湖のほとりに行ってみたかったのですが、それはまたの機会にしたいと思います。
恐山の宿坊吉祥閣へ
境内を進み地蔵殿まで来ました。
地面の所々は硫黄で黄色くなっていました。
地蔵殿から左を見ると、このような荒涼とした景色が広がっています。
お寺の境内といえば、きちんと整理されて区切られた区画に、お堂などが一つ一つ配置されているイメージが浮かびます。
ところが恐山菩提寺は、地蔵殿のすぐ横にこのような景色が広がっています。
今までに見てきた寺院とはかなり異質でした。
地蔵殿に向かって右を見ると、地蔵殿に通じる長い渡り廊下が見えます。
この廊下は、翌朝のお勤めの際に渡ることになります。
この廊下の奥に宿坊の吉祥閣があります。
風雨が強く境内を見回ることもできないので、すぐに宿坊吉祥閣に入ることにしました。
お堂や宿坊の内部は撮影禁止になっているため、館内の写真は撮りませんでした。
吉祥閣の館内は広々として、とてもきれいでした。
玄関左手の靴箱に靴を入れてスリッパに履き替えます。
そのまま進むと右手に受付があります。
受付の方が私の地元の近くに縁のある方で、その話に花が咲きつつ、料金を支払って館内の案内を受けました。
以下はそのときにいただいたきまりごとの文章です。
宿坊について
前のページにも書きましたが、宿坊は旅館やホテルとは違います。
どう違うのかといえば、それは宿坊を提供しているお寺によっても様々ですが、おおよそ共通している違いは、
・旅館やホテルにあるようなレストランやレクリエーション施設などのサービス施設がないこと
・料理が肉や魚を使わない精進料理であること
・酒や煙草が禁止されていること
・消灯時間などお寺の規則に従わなければいけないこと
・お勤めがあること(後の方で詳しく書きます)
などです。
それに加え、恐山では火山性のガスによって機器が壊れやすいとか、電波状況が悪くスマホなどが繋がりにくいという不便さもあります。
このように、一般の観光宿泊施設と比べて不便な点はありますが、そもそも泊まるのがお寺なので当たり前のことです。
職僧の方がおっしゃっていましたが、宿坊に泊まるならば不便なことを楽しむぐらいの気持ちで泊まると良いと思います。
普段学業や仕事に追われて忙しい思いをしているときに、ふと立ち止まって自分を見つめ直したり、何もしない時間を作ったりするのには最高の環境です。
また、施設的なサービスはともかく、人対人のサービスは観光宿泊施設にも引けを取らないと思います。
お食事の際に職僧の方が、できるだけの配慮はしますというようなことをおっしゃってくれましたし、受付の方と世間話もできました。
一般の観光宿泊施設に比べてスタッフの方と距離が近いような気がします。
宿坊は、民宿にちょっとした修行体験をプラスしたような、特殊な宿泊施設といったイメージです。
吉祥閣の宿泊部屋と温泉
さて、受付を済ませて宿泊部屋への案内を受けました。
部屋は2階にあります。
この日宿泊した部屋は、古き良き旅館を思わせるような部屋でしたが、これほど大きい部屋を一人で使っても良いのだろうかと思うような広さでした。
部屋の片隅には布団が敷かれていました。
大きな窓から外を見ると、菩提寺の境内を一望できました。
先程載せた回廊の反対側が見えています。
この回廊の向こう側が宿坊で、回廊に向かう形で宿泊した部屋が並んでいます。
とても広い部屋にポツンと一人で佇みました。
天候が良ければ宇曽利湖まで行くのですが、今日は風雨が強くて湖まで行くのは禁止されています。
館内の1階に内湯の温泉があるので、とりあえずそこに行ってみることにしました。
恐山菩提寺では内湯の他に、外の境内にもいくつか温泉があるようでしたが、今回は時間の都合などで内湯にしか入れませんでした。
浴場に入ってみると、洗い場も浴槽もとても広く、私一人しかいなかったこともあって、心の底からくつろぐことができました。
温泉は硫黄の香りが強く、効能も強そうでした。
実際、先程の注意書きには「湯で顔を洗ったり、湯を頭から浴びたりしないで下さい」と書かれています。
窓が換気のため少しだけ空いていたので、心地よい風を受けつつ、温泉の湯を楽しみました。
ここまで運転してきた疲れが湯に溶けていくような感じがしました。
何もしない時間を楽しむ
温泉に入ってすっかり疲れが取れたような気がしました。
部屋に戻ると夕食までまだ時間があるので、しばらく面壁しながら座禅を行います。
それから、ごろごろしたり眠かったので布団で寝ました。
何もせずに過ごすというのは本当にいいものです。
起きてみると夕食までに丁度よい時間です。
準備して会場に向かいます。
夕食と五観の偈
夕食の会場では一人ひとり指定された席に座ります。
すでに料理が準備されていました。
ご飯に漬物、野菜の天麩羅や煮物など、結構な量の夕食でした。
職僧の方がいらして五観の偈について解説されていました。
この食事はたくさんの人の手を経てここに出てきている。
この食事を戴くに値する行いが普段できているだろうか。
お腹が減れば感情的になるし、かといって食べ過ぎも好き嫌いも良くない。
食事はやせ細ったり命が絶えないようにするために戴くものだ。
自分自身がやるべきことを全うするために今この食事を戴く。
職僧の方が唱える五観の偈を心のなかで反芻しました。
実際、今の自分がこの食事を戴くに値するかどうかと問うたとき、そこまでの行いはできていないなと反省しました。
道元禅師の赴粥飯法では、食事の前にこの「五観を作す」と書かれています。
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食事のたびに五感を心のなかで唱え、日々の自分の行動を省みることも大事な修行の一つなのでしょう。
普段、これほど食事を真剣に食べたことはありませんでした。
食事の時間が終わると職僧の方が来て話をされ、各々部屋に戻ります。
箸と五観の偈の文章を部屋に持ち帰ります。
箸は朝食でも使うので、朝食時に持っていく必要があります。
早朝のお勤め
夕食が終わって部屋に戻ると、まだ19:00にならないぐらいでした。
就寝まで時間があるので、部屋の片隅にあった、恐山菩提寺の院代をされている南直哉さんの本を読みました。
21:00ぐらいには眠くなったのでぐっすり朝まで眠りました。
翌朝、6:00に起床の館内放送が流れ、6:30からお勤めが開始となります。
それまでに宿坊の外にある長い渡り廊下を通り、地蔵殿に集合しなければいけません。
お勤めというのは、お寺ごとに内容は違うと思いますが、読経・礼拝などの儀式に参加させていただくことです。
お勤めに参加する際に事前知識は必要なく、お寺の方に指示されたとおりに行動すれば大丈夫です。
基本的に、お坊さんが礼拝や読経をしてくださるのを側に座って見ています。
6:00に起床してすぐ地蔵殿に行くと、一番乗りでした。
地蔵殿の内部を見ながら待っていると、畳の上に座るよう指示されたので、そのまま座って待ちます。
そこに3名のお坊さんが到着し、お勤めが始まりました。
ふと見ると、その3名のお坊さんの中に、昨日部屋の中で読んでいた本の著者である院代の南直哉さんがいました。
大学生のころから院代さんの著作を読んでいたので、お会いできたことで感動も一入でした。
宿泊者全員の名前が読み上げられ、ご祈祷を受けました。
地蔵殿での礼拝と読経の後、外に出て本堂に場所を移し、また礼拝と読経が行われます。
その最中に宿泊者一人ひとりがお焼香を行います。
事前に曹洞宗の焼香の仕方を予習していったのですが、各自の宗派に合わせた焼香の仕方でも、分からなければ周りの人の真似をしても大丈夫だと思います。
そうして朝のお勤めが終わり、本堂の中を見学した後、部屋に戻りました。
すぐに朝食があるので、箸を持って会場に向かいます。
夕食と同様に五観の偈を心のなかで唱え、朝食をいただきました。
箸は持ち帰ることができます。
五観の偈の文章とともに大切にしようと思います。
宿坊を後に
チェックアウトまでは時間があったのですが、別の場所で用があってあまり時間もなかったので、チェックアウトして宿坊を後にしました。
少しだけ時間に余裕があったので、宇曽利湖までは行けないまでも、宇曽利湖に向かって歩いてみました。
曇っていましたが、雨風はなく割と快適でした。
荒涼とした地面が続きます。
所々に積まれた石や風景から、寂しさというか懐かしさというか、切ない感じを受けました。
何となくDARK SOULS IIの拠点マデューラを思い出しました。
遠くに宇曽利湖が見えます。
ほとりまで行ってみたかったのですが、時間もないため引き返しました。
いずれ戻ってこようと思います。
服にはすっかり硫黄の臭いが染み付いていました。
恐山とはどのような場所だったか
慌ただしく恐山まで行って帰ってきました。
台風であまり外を歩くこともできず、宿坊の部屋でごろごろしていただけでしたが、何もしない時間を十分に楽しむことができました。
恐山がどういう場所だったかを振り返ってみると、院代さんの恐山: 死者のいる場所という本に書いてある、パワーレススポットという表現がしっくりときます。
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恐山といえば、名前からして怖い感じがしますし、荒涼たる風景も相まって荒々しいようなイメージを持っていました。
ですが、実際に行ってみると、むしろ人の暖かさもあって、どこか懐かしさや温かみ・寂しさを感じるような場所でした。
そんな場所だからこそ、たくさんの人の思いを受け止めることができるのでしょう。
ぜひまた来てみたいと思う場所でした。
次に来たときは宇曽利湖のほとりに行ってみたいものです。