【インドのバス内でチケットを購入・エスプラネードに到着】インドとネパールでの一ヶ月:その7
一ヶ月かけてインドとネパールを旅してきた時の記録です。
このページでは、Kolkata(コルカタ)の国際空港からEsplanade(エスプラネード)に向かうバスの車内でチケットを購入し、エスプラネードに到着するまでのことについて書いています。
バスの車内でチケットを購入
コルカタの空港からバスに乗り、エスプラネードを目指す。
バスに乗って座っていると、いよいよバスが発車した。
バスのすぐ横に女の人たちが立っていたのだが、バスが動こうともお構いなしで、微動だにしていない。
クラクションを鳴らされても、そのまま立っておしゃべりを続けている。
さて、動き出したバスの中では、乗務員が乗客から行先を聞いて回り、チケットを発行してお金を回収している。
インドのバスは、運転手と乗務員の二人体制になっているのだ。
行先を聞かれる人と聞かれない人がおり、聞かれないのはたぶん地元の人だと思われる。
私の元に乗務員が来たので、運転手から聞いた「ダムルシ」をできるだけ運転手と同じ発音で告げ、チケットをもらう。
RS 50とあり、50ルピー(100円)を払った。
乗務員に「ダムルシ」と告げた時、一瞬、おやッという反応をしていた。
たぶん外国人である私が、「エスプラネード」ではなく、現地で使われている地名を言ったので、不意を突かれたのだろう。
インド人の乗り降り
バスが動いている途中でも、インドの人たちはお構いなしに乗って来る。
人が乗ってきた場所を見ても停留所のような標識は見当たらない。
車内アナウンスなどはなく、現地の地理が分からない私には、バスが今どこを走っているのか分からない。
それでもインド人たちは、自分の目的地でどんどん降りていく。
インドの交通事情
バスが走っている道中、ずっと窓の外を見ていたが、インドの交通事情はすごかった。
車もバイクも道路にひしめき合っている。
バスは、他の車やバイクの間に隙間を見つけると、クラクションを鳴らしながらどんどんそこに突っ込んでいく。
他車とはギリギリぶつからないぐらいの距離を保ちつつ、追い越したり追い抜かれたりしている。
他の道に合流するときも、合流先の道路もとんでもなく混雑していたので、よくこんなところに合流できるなと感心しながら見ていた。
人や自転車がいてもお構いなし。
進めそうであればどんどん突っ込む。
信号なんてほとんど無い。
信号が無いので、衝突事故を避けるためには、どんどんクラクションを鳴らして相手に自分の存在を知らせるしかないのだ。
道路上には野良犬や牛が寝そべっていることもある。
動物を避けながらも、バスはどんどん進んでいく。
道路の中央分離帯の所で、2頭の牛が薄いパン(ロティ)を食んでいた。
バスの車内で独り相撲を取る
そんな外の様子を興味深く眺めつつ、ふとチケットに目をやった。
一番上にCSTCと書かれているが、これが目的地だろうか。
googleマップでCSTCの位置を確認してみる。
あれ、行きたい場所と全然違うぞ。
私が行きたいエスプラネードはもっと南だ。
あららどうしよう。
途端に不安になってきた。
運転手は、エスプラネードと伝えたのを分かってくれたようだったが、そのとき言われた「ダムルシ」は本当にエスプラネードの近くなのだろうか。
車掌にも、「ダムルシ」ではなく「エスプラネード」と伝えておけば良かったか。
不安になり、何度もスマホで現在地を確認する。
バスはちゃんとエスプラネードの方に向かっているようではある。
チケットを再度よく確認すると、合点がいった。
私が見ていたのは赤丸の部分で、ここが目的地だと思っていたのだが、黄色丸の所にちゃんと「TO ESPLANADE」と書いてあるではないか。
どうやらCSTCというのはバス会社の名前のようだ。
完全に私の独り相撲だった。
信用のバランス
とりあえずホッとした。
もっと人を信用しなければ駄目だな。
いや、そうではなく、信用できる人とできない人を見極める力を付けないと駄目なのだ。
今までインドについて色々な物を読んできて、大体どの文章でも、インドという国はシステムが曖昧で犯罪も多い場所だという書き方がされていた。
外務省の海外安全ホームページを見ても、日常的に犯罪が発生しているなどと書かれている。
それゆえ、話しかけてくる人は全員詐欺師か何かで、誰も信用してはいけないという認識が、インドに来る前から私の中でできあがっていた。
もちろん、今までに日本人が様々な被害にあってきたからこそ、こういう書き方がされているはずであり、むやみやたらと人を信用して良いというわけではない。
だが、もし全員が犯罪者なら、当たり前だが、インドという国は国として上手く回らなくなってしまう。
あまりにも人を信用しなさすぎると、旅自体ができなくなってしまう。
要は、信用する場合と信用しない場合の線をどこにひくか、そのバランスが重要なのだ。
それをこの旅の中で見極められるようになっていかなければ。
曖昧なシステムだからこその気遣い
そうこうしていると、運転手と乗務員が「ダムルシ!」「エスプラネード!」と呼び掛けてくれた。
バスが私の目的地に着いたようだ。
急いで入り口まで行き、二人にお礼を言いながらバスから飛び出る(車やバイクが来ていないか確認しながら)。
インドのバスは、日本のバスのように、バスが目的地に近付いてもアナウンスがあるわけではない。
現地の人たちがバスに乗り降りする場所も、結構曖昧な感じになっている。
そんな曖昧なシステムになっているからこそ、運転手と乗務員の二人は、外国人の私には目的地に着いたことが分からないだろうと思い、気を遣って呼びかけてくれたのだろう。
他の乗客が降りるときは呼びかけたりしていなかったので、わざわざ私のためだけに呼びかけてくれたのだ。
今後のページで書いていくが、インドという国はたくさん面倒なことがあった。
だがそれ以上に、色々な場面で人から声をかけてもらうことがあり、おかげでずいぶん助かったものだった。
どんどんシステム化され、曖昧なことがなくなっていく日本。
システム化は中々進まないが、その分、人情のシステムがまだまだ根強いインド。
どっちもどっちで一長一短がある。
だが、やっぱり人と関わることは楽しい。
さて、サダルに向かって歩いて行こう。