【青森市内の縄文時遊館へ・三内丸山遺跡を流れる古代の空気】秋の東北へ:その7
10月の上旬、新潟から青森へと日本海側を北上し、奥羽山脈のあたりを通りながら帰ってきた時の記録です。
このページでは、青森の三内丸山遺跡を散策した時のことについて書いています。
青森市内の三内丸山遺跡へ
千畳敷で昼飯を食べ、青森市へと向かう。
次の目的地は、青森市内にある三内丸山遺跡だ。
道中に、リンゴで有名なつがる市などがあるのだが、今後の行程を考え、一路青森市へ向かうことにした。
しばらく走って青森市へ。
三内丸山遺跡に到着。
見えている博物館のような施設は縄文時遊館といい、三内丸山遺跡を見るためには、まず縄文時遊館に入る。
敷地には物産館などもあるようだ。
海外からの人も見かけた。
以前テレビで、青森の風情ある温泉に、外国人観光客がたくさん訪れているというのを見た。
青森は、海外からの入口である東京からだいぶ離れているが、それでも外国人観光客をそこそこ見かけた。
後で訪れる八甲田ロープウェイにも、中国や韓国の人がたくさんいた。
館内に入って受付を済ませる。
道なりに奥へ行き、三内丸山遺跡へ。
三内丸山遺跡の散策
三内丸山遺跡といえば、歴史の教科書にも載っている有名な遺跡だ。
看板によれば、縄文時代の前期中頃~中期(紀元前約3900~2200・今から5000~4000年近く前)にかけて継続した集落の遺跡とのこと。
最近、日本や日本人のルーツについて考えることが多く、日本最古の書物である古事記や、万葉集を読んでいた。
三内丸山遺跡の集落に縄文人が住んでいた時代は、これらの書物が書かれた時代よりもはるか昔(古事記が書かれた頃から約4500~3000年前)である。
書物の残されていないような時代、古代日本の雰囲気を少しでも感じたいと思っていたので、東北を回ろうと思ったとき、真っ先にここを目的地に加えた。
集落の散策
家々の跡が立ち並んでいる。
中に入ることもできるようだ。
これらの家は、縄文時代からの物がそのまま残っているわけではなく、当時の家を再現して建てられている。
だが、ここが集落として利用されていた時の雰囲気は伝わってくる。
北海道でアイヌの建築を見た後なので、造りなどを比較してしまう。
年代的にはかなりの隔たりがあるけれども。
大型竪穴建物
大型の建築だ。
この大きな建物は、集会所や共同作業所などの用途だと予想されているが、実際の所ははっきりしない。
当然ながら、古代からの遺物はそう多くはなく、当時のことはわずかな手掛かりを元に推測・検証していくしかない。
一つの発見で教科書が大きく変わってしまうこともあるそうだ。
古代史の面白さは、そういうところにあるのではないか。
大型堀立柱建物
ネットの写真などでよく見かける、大型の建造物跡だ。
これも、柱が立っていたことは分かっているが、詳細な構造や用途ははっきりしていない。
当時に使われていた建造物と形が違っていたとしても、古代に思いを馳せるためには何ら支障はない。
建物の中に、実際の6本柱の遺構がある。
これが5000年前の柱木か。
他にも、石器や土器がちりばめられた北盛土や、墓の跡などを見学し、館内に戻った。
館内の見物
館内には社会科見学中の小学生たちがいた。
北海道一周の時もそうだったが、平日にメジャーな観光地を訪れると、小学生の団体と遭遇することが多い。
そのようなときは毎回、彼らの邪魔にならないよう見学することにしている。
私のようなおっさんよりも、感性豊かな子どもたちの方が、展示を見て得る物も多いだろう。
どの土器にも模様が付けられている。
こういう物を見ると、今も昔も人間は変わらないなあと思う。
変わらないのは、昔からの精神性が受け継がれてきていることの証左だろうか。
道の駅 浅虫温泉へ
縄文時遊館を出た。
今日の観光地巡りはここまでにしよう。
青森市から海沿いを走り、道の駅 浅虫温泉へ。
ここの上階は展望浴場になっている。
とりあえず土産を購入。
道の駅から道路と海を挟んだところに、湯ノ島という大きな島があった。
島の前面には鳥居が立ち、何とも不思議な雰囲気だった。
今日はここまでだ。
風呂に入ってゆっくりしよう。