十四日目の朝
早朝のウトナイ湖。
昨日はここに白鳥がいたのだが、もういなくなっていた。
さて、これからどうしようか。
今は苫小牧のあたりだ。
苫小牧から海岸沿いに、室蘭の方まで向かおうと思っていた。
途中、寄ってみたい場所がいくつかあるのだが、まだ時間が早い。
一旦、支笏湖まで寄り道してみることにしよう。
ウトナイ湖から支笏湖へ
道の駅 ウトナイ湖の周辺は、早朝でも車通りが多かった。
道の駅を出て、苫小牧市街を経由し、支笏湖へ向かう。
苫小牧から支笏湖までの国道276号は、森林の中の道だ。
前方には霧がかかっている。
支笏湖の手前まで来た。
支笏湖を正面にして、右手に進む。
温泉街を左に見ながら進むと、突如として視界が開け、支笏湖の雄大な姿が目に入る。
正面に見えるのは風不死岳だろう。
支笏湖展望台へ
まだまだ時間が早い。
もう少し時間を潰せる場所がないかと、温泉街付近を運転した。
駐車場と散策路を発見。
この辺りを歩いてみよう。
雨は降っていないのだが、雨のような音がする。
音はこの木からしているようだ。
昨日の大雨の水滴が、葉や枝をポタポタと落ち続けているのだ。
展望台を発見。
行ってみよう。
霧で何も見えない。
展望台の手すりには、松浦武四郎の逸話が書いてあった。
松浦武四郎は幕末の探検家で、北海道を詳細に探検したことで有名だ。
北海道の各地には松浦武四郎の碑が立っている。
これまでに、ウトロと阿寒で碑を見つけていた。
どうやら湖畔に降りられるようだ。
行ってみよう。
赤い山線鉄橋へ
湖畔に降りてきた。
湖に向かって右側に行ってみよう。
赤い鉄橋が見える。
看板によれば、この鉄橋は「山線鉄橋」といい、
北海道に現存する最古の鉄橋
だそうだ。
鉄橋を渡ってみよう。
鉄橋の鮮やかな赤に、橙色のランプが映えている。
支笏湖ブルー。
向こうに見えるのは風不死岳。
鉄橋を戻ろう。
支笏湖のほとりへ
鉄橋を渡って戻ってきた。
今度は湖に向かって左手の方に行ってみよう。
風不死岳をバックに。
こちらからは、湖のほとりに降りることができる。
風不死岳は分県登山ガイドに載っており、登ってみたいと思っていた。
北海道に来る前、登りたい山の候補を決めてきていたのだが、暑いので登山はやめにした。
せっかく北海道まで来たのに、もったいなかっただろうか。
駐車場まで戻ろう。
苫小牧から白老へ
次の目的地は、白老のウポポイ 民族共生象徴空間だ。
ここには国立アイヌ民族博物館などがある。
北海道では、アイヌ関係の展示をたくさん見ておきたいと思っていた。
ちなみに昨日は、平取町立二風谷アイヌ文化博物館と萱野茂 二風谷アイヌ資料館を訪れていたのだった。
まずは支笏湖から苫小牧へ。
今朝の苫小牧は、深い霧に包まれていた。
朝の国道は混んでいる。
海沿いに出ると、霧の向こうでうっすらと波頭が砕けるのが見える。
今日も波は高そうだ。
ウポポイ 民族共生象徴空間に入場
ウポポイの入り口に着いた。
受付を通って敷地内へ。
まずは国立アイヌ民族博物館に入る。
国立アイヌ民族博物館の中へ
なんというか、近未来的な感じのする空間だ。
建物の二階からウポポイを見渡せる。
右側に見えるのはポロト湖だ。
展示室も近未来的なデザイン。
展示品がとても多く、解説も充実している。
霊送り儀礼のクマと、熊をつなぐ杭の展示。
霊送りは、イヨマンテ(クマ送り)とは違うのだろうか。
これは、平取町立二風谷アイヌ文化博物館でも見たアットゥシだろうか。
縄文土器や、いろいろな文章の展示などもある。
館内ではアイヌ語の放送が流れているのだが、その中で、度々「カムイ」という単語が出てくる。
「カムイ」の発音は、最初の「カ」を強く読むのだと思っていたが、発音を聞いていると、真ん中の「ム」に強勢が来るのが正しいようだ。
狩猟の道具。
仕掛け弓だ。
厚岸湖で出土した舟だそう。
博物館を後にした。
コタンを散策
博物館を出て、ウポポイの奥へと歩いてみる。
エゾネギ。
ハーブのチャイブにそっくりだ。
コタン(集落)があり、チセ(家)が建っている。
やっぱりチセの屋根は段になっている。
真ん中にあるのはクマの檻だろうか。
チセはいくつかあり、中では様々な体験なども行っているようだ。
ここのチセでは、織物を織っている人がいた。
実演をしている人たちは、皆さんウポポイの職員なのだそう。
職員一人一人にはアイヌ語の名前がついているそうだ。
チキサニ広場での歌と踊りの実演
チセを出ると、野外舞台のチキサニ広場があった。
ちょうどこれから楽器や歌の実演があるようだ。
見て行こう。
演奏の前に、アイヌの現状についての説明があった。
二風谷アイヌ文化博物館で見た文章に、
「自分がアイヌかどうかは、自分がアイヌとしてのアイデンティティーを持っているかどうかが大事だ」
と書かれていたのを思い出す。
演奏が始まる。
まず、ゴールデンカムイでも出てきた、ムックリ(口琴)という楽器の演奏を聞いた。
作中では、ムックリの音はビヨーンビヨーンという擬音語で表されていたが、本当にその通りの音だった。
次は輪唱。
独特の調べに、アイヌ語の不思議な響き。
最後に舞の実演が。
狩りで、鳥を射落とすかどうかを迷っている場面の踊りらしい。
弓を鳥に向けては納め、向けては納めを繰り返す。
鳥を討ちたくないから納めるのか、それとも討つ自信が無いから納めるのか、どういう心理だったのだろう。
丸木舟の実演
舞を見終えた後、近くの湖のほとりで、丸木舟の実演があった。
ここでの職員の操船がすごかった。
一本の細い櫂を使い、丸木舟を自由自在に操っている。
丸木舟に立ったまま、舟の片舷だけに櫂をさして操船するのだ。
漕ぐ際に、櫂をさす場所は毎回同じなのだが、櫂の傾きを変えることで、舟を右にも左にも進めることができる。
私もカヤックに乗っているから分かるのだが、この職員はかなりの手練れだ。
舟に乗るときに一番難しいのが、離岸と着岸なのだが、どちらも立ったままスイー、スイーとこなしてしまう。
あまりにもスムーズなのですごさが分かりにくいのだが、もし私が同じことをやったら、間違いなく湖に落ちているだろう。
実演が終わった後、丸木舟を見せてもらった。
この丸木舟自体も、操船していた職員が手彫りで作ったそうだ。
かなりの手間がかかったろうし、均整のとれた形にするのも難しいはずだ。
素晴らしいものを見せてもらった。
体験学習館へ
ウポポイの南へ行く。
こちらは体験学習館などがある。
北海道で何度も見たキビタキだ。
こちらは、アイヌ語を学べるコーナーになっている。
画面に表示されたアイヌ語を発音すると、次の言葉が表示されていく。
ウポポイは、体験型の展示が多いのが特徴だ。
団体の客が入ってきたので、場所を譲って外に出た。
早めの昼食として、入り口のレストランで山菜そばを食べ、ウポポイを後にした。
余談:文化を後世に残すことの大切さ
丸木舟の実演を見学後、職員の方と色々話をした。
今は動力船がメインとなり、手漕ぎ舟が実用に供されることはほとんどなくなっている。
不必要になったものは、すたれていってしまうだろう。
だが、こういった昔の物が無くなっていくのは寂しい気がする。
私は古い物が好きなので、丸木舟に限らず、古いものが後世まで残っていってほしいと思っている。
ウポポイを訪れたときは、丸木舟のような古い物を、後世に残す必要性を感じてはいたのだが、その理由を明確に言葉にすることができなかった。
だが、北海道で色々なものを見て、家に帰って考えた今では、その理由を説明できる。
昔に使われていた道具は文化の証人であり、文化は精神性につながるから、道具を残さなければいけないのだ。
丸木舟で説明すれば、昔から残されてきた丸木舟の作り方、操船方法などに、その文化独自の考え方が現れる。
分かりやすい例でいくと、萱野茂 二風谷アイヌ資料館で見た丸木舟には、イナウが立っていた。
アイヌの丸木舟について調べてみると、舟にイナウを立てることは、往々にしてあったようだ。
カヤックに乗ってみると分かるが、舟に長い物やかさばる物を取り付けると、操船や釣りの邪魔になってしまう。
舟に乗るときは、荷物はできるだけ少なくした方が良いのだ。
私よりも、よほど舟に慣れているアイヌたちが、そのことを知らないはずがない。
それなのに、なぜわざわざ、操船の邪魔になるようなものを取り付けるのか。
こういう所に、民族の精神性を知る手掛かりがあるように思う。
道具から文化、文化から民族の精神を推し量ることができる。
そして精神を知る意義は、それが困ったときに立ち返ることのできる場所だからだ。
私は理系だったのだが、理数系の問題を解いていて、分からないことがあったら、とにかく定義や定理に立ち返って考えるのが鉄則だった。
仕事をしていたときもそうだ。
仕事が辛いときは、その仕事の意義に立ち戻り、自分を奮起させたものだった。
古くから培われてきた精神は、判断に困った時の拠り所となる。
そのため、精神の依り代となっている道具を、できるだけ後世に残していきたいものだと思う。
そういう意味で、ここウポポイや、これまでに見てきた博物館・資料館は、非常に意義のある施設だと思う。